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ぼろぼろの文法書に志を託して

私は小さい頃から英語が好きだった。勉強というより、趣味という感覚で英語と接してきた。

これは先生に恵まれたという部分が大きい。私は、同級生と話すより、先生と話す方が楽しいと感じる生徒だった。昼休みや放課後は、よく職員室に入り浸っていた。

特に高1~2の頃に英語を教えてくれたS先生。尊敬の念の裏側で、私はS先生に淡い恋心を抱いていた。ウブでシャイで奥手な私は何らアクションを起こせず、成就なんぞするわけなかったが。

ある日、S先生が私に1冊の本を貸してくれた。「ロイヤル英文法」という英語の文法書だ。900ページ近いボリュームがあり、英文法用の辞書みたいなものだった。「俺がこの学校にいる間は、無期限でめろに貸しておくよw」S先生が笑いながら渡してくれた。実質もらったようなものだ。その日から、ロイヤル英文法は私にとって宝物になった。

そして、私はその文法書にドはまりした。本来は辞書的な使い方をすることが多い書籍だと思うが、私は1ページ目から読み進めた。マンガのような感覚で、夢中になって読んでいた。只々面白かった。S先生は「きっとめろなら、楽しんでくれるだろう。もっと英語を好きになってくれるだろう」と見抜いて、私にその文法書を渡してくれたんだと思う。

休み時間に英語の文法書を読むJK

授業の合間の休み時間も、私は広辞苑のようなその文法書に読み耽っていた。マジメだったわけではない。勉強が得意だったわけでもない。私は純粋に、英語が好きだっただけだ。YouTubeで好きな動画を観ているのと同じ感覚だった。クラスメートがワイワイ盛り上がる中、1人で2828しながら英語の文法書を読んでいた。

そのうち、クラスの男子数人が私をからかうようになった。「おい、休み時間に辞書読んでる女がいるぞw」「こえーwww」「マジメちゃんwww」 ・・・その当時は「意識高い系」という言葉は存在していなかったが、そのような趣旨のからかいだったように思う。もう1度書くが、私はマジメでも意識が高いわけでもなかった。ただただ、英語が好きなだけだったのだ。

表面上は無視して相手にしてないように振舞っていたが、私の心の中は冬の日本海の如く荒れ狂っていた。単純にムカついたのもあるが、何より自分の好きなものをバカにされている感覚が、悲しかった。

私は休み時間に文法書を読むのをやめてしまった。英語が好きだという自分の中の思いが、少しだけくすんでしまった気がした。そして、S先生にロイヤル英文法を返却することにした。あんなに気に入ってくれたのに、どうして?と理由を聞かれて、私は教室でのエピソードを話した。

一言一句は覚えてないが、S先生はしっかりと私の目を見て、次のような話をしてくれた。

「いいか。めろの人生の責任を取ってくれないヤツらの言うことなんか、一切気にするな。そんなヤツらのせいで、英語の楽しさが奪われたら悔しいだろ?本当は羨ましいんだよ。めろみたいに英語が出来たらいいなーって嫉妬して、そういうことを言ってくるんだよ。

相手にしなくていい。めろは英語が好きなんだろ?めろの人生なんだから、周りの目なんか気にしないで、思いっきり英語を楽しめばいいんだよ。純粋に英語を楽しめばいいんだよ」

堪え切れず、溜め込んでいた大粒の涙が、私の目からボタボタと零れた。S先生は「今度そんなこと言ってくるヤツがいたら俺に言え。ビシッと注意してやるから」と私の頭を優しくポンポンと叩くと、「ほら、持ってけ」と文法書を差し出した。私は大きく頷いて、再度受け取った文法書を、ギュッと強く抱きしめた。

私は再び、その文法書を休み時間に読むようになった。相変わらず揶揄ってきた男子はいたが、心がざわつきそうになったら、S先生の言葉を思い出して自分を抑えた。そのうち男子は、何も言わなくなった。もしこの時、私が周りのからかいに屈していたら、今の自分はないと断言できる。

S先生との別離

S先生はその年度末での異動が決まった。私は、S先生が異動する学校に転校したいと本気で思っていた。S先生は笑いながらやめとけと言い、志望校に合格したら、ロイヤル英文法を返しに来いよと言い残して、私の前からいなくなった。

一生忘れられない、高3の体育祭の日。S先生が亡くなったと知らされた。くも膜下出血で、ほぼ即死だったという。まだ26歳だった。私は当時の教頭先生に頼み込んで、S先生の葬儀に行かせてもらった。

大学合格が決まった後、私はロイヤル英文法を持って、S先生の実家をアポなしで訪ねた。S先生のご両親とお姉さんがいた。私が葬儀に来たことを覚えてくれており、事情を話すと、快く家に招き入れてくれた。時間を忘れて、S先生のご家族と沢山思い出話をした。皆笑っていた。写真の中のS先生も、笑顔で聞いてくれているように思えた。

晩ご飯まで食べさせてもらい、S先生のお姉さんの車で最寄り駅まで送ってもらえることになった。文法書は返さなくていい、めろちゃんが持っていて下さいと優しく笑ってくれた。S先生と同じ笑顔だった。

この時、人生で初めて、私にはっきりとした目標が出来た。S先生のように、英語の楽しさを伝えられる英語教師になる。ずいぶん自分勝手な使命感だが、道半ばで倒れたS先生の志を引き継ぐんだと、帰りの電車内で流れる景色を眺めながら誓った。

大学卒業後、私は英語教師となった。授業には毎回、S先生のロイヤル英文法を持って行った。実際に授業で使うことはない。お守りだった。やけに重たいお守りだったが、私には何より心強かった。

Kちゃんに思いを託して

それから数年。私は結婚と体調面を理由に、英語教師という仕事を一旦離れることに決めた。その年の教え子の中に「めろ先生のような英語教師になりたい!」と言っていた女の子、Kちゃんがいた。Kちゃんは当時高校1年生。英語が大好きで純粋に楽しんでいる子だった。まるで高校時代の自分を見るようだった。

狙ったわけではなくたまたまだったのだが、Kちゃんの授業が、私にとって最後の授業になった。これは偶然ではないと感じた私は、泣きじゃくるKちゃんに、ぼろぼろになったS先生のロイヤル英文法を託した。

そのKちゃんは今、英語教師として活躍している。「ロイヤル英文法、今も使ってます!!大事にしてます!!」とメールが来た時は嬉しかった。

S先生の志は、めろからKちゃんへ。ぼろぼろの文法書がバトンとなって引き継がれたと勝手に思っている。Kちゃんも「これは」と思った生徒に、ロイヤル英文法を渡す日が来るのだろうか。来るといいな。


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