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【十六夜杯】勝手にめろ賞 「命」と「生きる」の十二句


今回の十六夜杯。スピンオフ企画にも参加出来てないし、みなしゃまの記事にも全然コメントや御礼参り出来てないんだけど、少しでも盛り上げの一端になりたいと、俳句部門で好きな句を突貫で選んでみたぜ٩(๑•̀ω•́๑)۶


秋深し生きてるだけで丸もうけ

前回の鶴亀杯で、オイラは公式審査員でした。その時は一句一句に向き合えたけど、今回はそこまで時間が取れないので、うつスピもといインスピレーションで、全句一覧から十二句選んでみました。順位付けはありません。


とはいえ。とはいえよ。ただ感覚的に好きなものを選んだというわけではありません。全句一覧を見て思ったこと。流石「十六夜杯」の冠名&秋の大会ということで、月の句が多かった。そしてそれと同じくらい、「命」「生きる」をテーマにした句も多かった。オイラは、すごく心を動かされました。


よって、今回の勝手に賞は『「命」と「生きる」の十二句』というサブタイトルにして、そういう基準で選ばせてもらっています。


前置きが長いのは仕様です(ノシ*`ω´*)ノシ

みなしゃまにエラそうな講釈を垂れる立場ではないんですけども、やはりオイラは、命を頂いた以上、「何があっても最後まで生ききるぞ」と、思っております。生きてるだけでしんどいし、ホント何の修行だよって嘆きたくなることもイパーイある。それでも、ツラい時でもオイラは出来る限り笑っていたいし、前向きでありたい。きっと良いことあるよ!って信じていたい。


こうしてことばで書くほど簡単なことはないね笑 実際ホントにツラい時に笑ったり、前向きになるのは、とてもとてもと~~~っても難しい。特に、自分は1人ぼっちだな、孤独だなと感じる時は余計にね。


でもでもでも。同じ時代に、苦しみながらも、歯を食いしばって懸命に生きてる仲間がいるんだと思えばね。よっしゃ。こっちももうひと踏ん張りしてやろうじゃないさ(ノシ*`ω´*)ノシって、励まされた気になる。今回は、そんな励ましをくれる十二句を選んだつもりです。


ん?「御託はいいから、とっとと発表しろよ?」ですと?
何を言う早見優(ノシ*`ω´*)ノシ(©村上ショージ師匠)

こうなったら、急遽予定を変更して、この場をサンドウィッチマンの新ネタ発表会にしちゃうぞ(ノシ*`ω´*)ノシ←圭果ちゃんは喜ぶかもしれない



【勝手にめろ賞 「命」と「生きる」の十二句】


重機にも 斧ふりあげる蟷螂ぞ
せきぞう、

力強い生命力を感じさせる一句。オイラは、この句の情景を「ただの威嚇行為」とは感じませんでした。勝手に「妊娠中の雌の蟷螂」を想像しました。妊娠中はどんな動物もナーバスになるから、その雌の蟷螂は、重機が敵に見えたのかも知れないね。何があっても、私はこの子たちを守る。命を守る。そんな強い意志を「斧ふりあげる」から感じるよ。

動物や昆虫が攻撃態勢にある時。それは、此方を傷つけようというより、やはり防衛本能から来るものなのだと思います。命を守る。自分ではなく、自分が愛する者のそれであれば、なおさら迫力を増す。だから、オイラはこの句に、強い生命力を感じるのです。せきぞう、さん。良い句だね。




老蝶のなれ果てを知る野風かな
七田苗子

「老蝶」ってあまり聞きなじみがないけど、絶妙なことばのチョイスだと思います。若い頃は輝いていた。自由を謳歌していた。イキイキと飛んでいた。幾ばくかの年月を経て、今。ふらふらと彷徨いながら飛んでいる老いた蝶。そんなイメージ。前半の「老蝶のなれ果て」だけだと、寂しいな、悲しいなって思っちゃう。


だがしかーし。だがしかし。後半の「を知る野風かな」が、全部ひっくり返してくれる。この野風は、きっと優しい風。神様からの贈り物かも知れない。「よく頑張って、ここまで生きてきたね」っていう、労りの風。或いは、フラフラして蜘蛛の巣に突っ込みそうになる蝶を、その風で方向転換させて、フォローしているのかも知れないね。




ひたむきに今日の命を木槿咲く
あぷりこっと


今回は公式審査ではないので順位付けはしてないですが、もしつけろと言われたら、この句を1位にしていると思います。ひたむきに生きる美しさや感動を、とても素直に詠んでいる。ド直球ストレートが、オイラの心のミットにバチコーンと突き刺さって「ストルァァァァァイク!!!!!!!バッツアーアウツ!!!!!٩(๑•̀ω•́๑)」って叫びたい気分です。どんな気分だよ。


それだけじゃない。この句は、季語「木槿」がすごく生きています。上五+中七の「ひたむきに今日の命を」に、下五で他の秋の植物を合わせても、俳句にはなるかもしれない。でも、木槿には勝てないと思います。1日で、パッと咲いてパッと散る。木槿は余計なこと考えずに、ただただ一生懸命、その生を全うしてるだけ。感動が伝わってきます。素晴らしい句だね。





降り立つは旅路の果ての刈田かな
k_maru027

これも見た瞬間に良い句だなと。選後に作者を確認すると、おっとまるちゃん。さすがやね~( ●´ސު`●)という感じ(えらそうにゴメン笑)。この句、何が良いって主語が書いてないのよ。日本語だと、繰り返し以外で主語を省略する時は大抵一人称(オイラ)か二人称(チミ)って相場があるけど、そんな相場、オイラはシカトする所存です(ノシ*`ω´*)ノシ←??


主語はきっと誰だっていい。鳥でも、私でも、第三者でも。その意味では「旅路」という単語のチョイスもバチコン。渡り鳥の移動でもいいし、具体的な旅行でも良いよね。「人生」の比喩って解釈だって、可能だと思う。旅路の最後に、見渡す限りの刈田。この世で出来る限りの経験が出来た。全部収穫した。生ききった。後悔はない。清々しい気分、みたいなね。





ひぐらしに耳をすまぜば幽境へ
丸家れい

「ひぐらし」と「幽境」の取り合わせ。絶妙だねぇ。この世とあの世の中間を彷徨う瞬間って(幽体離脱的なことではなくね笑)、誰しもが一度は経験したことあると思うの。あの不思議な感覚。隔世感というのかな。それを十七文字で見事にパッケージングしている句だと思います。


選句後、れいしゃんの句だと知って、なるほどと思いました。前にれいしゃんがね、あるところを旅行した時に不思議な体験をしたって記事を読んで。そこで、何て素敵な解釈をする人なんだろうって思ったんです(記事が気になる人はこちら)。「目に見えないものは信じない」って言う人もおるけど、だったら、愛とか平和もあなたの世界にはないのですかとオイラは問うてみたい。どうせ生きるなら、れいしゃんのような生き方が良いです。




未完でもどこ吹く風の十三夜
ありっち

良いねぇ。この開き直った感、最高だよ笑 開き直りというと、逃げみたいになっちゃう時もあるけど、未完であること、不完全であることに対しての開き直りは、どんどんすべし!とオイラは思ってます。未完だからこそ、どんどんチャレンジ出来るわけだしね。


「どこ吹く風」。良い表現だよね。そんなの些細なこと、気にすんなよ人間なんて、不完全で元々。だから痛い思いもするけどさ、そんな掠り傷、なめときゃ治るよ、みたいな。いや舐めただけじゃ治らんとは思うけど笑、そういう気構えが、しんどいことばかりの世の中を生きる上で、大事なことのようにオイラは思うのです。





赤とんぼ細身に満つる血潮みゆ
ワニ_K

今回も公式審査員だったら、あぷりこっとさん or ワニ_Kさんで1位2位は悩んだろうな~というくらい、一目惚れした句です。「赤とんぼ」を素材にした句って、どちらかというと秋の侘しさを感じさせるような句が多いと思うんですが、御句は生命力に振り切ってる。赤とんぼの赤は、燃える血潮の赤なんだってよ。いやスゴイよね。


これね。もしかしたら「赤とんぼ細身に満つる血潮かな」の方が良くね?って思う人がいるかも知れない。確かに切れ字の「かな」を使った方が、俳句としては整うかも知れない。「血潮すげーな!」ってなるし笑 でも、オイラは「みゆ」が良い派です。「みる」じゃなくて「みゆ」だからね。お目にかかる。その生命力に敬意を持っている、なんて解釈も良いよね笑




ジョギングの足弛めたる良夜かな
IKUKO@するすみ

前述の通り、十六夜杯では月を素材にした俳句が多かった。その中でも、一番惹かれたのがこの句です。いや待てめろ太郎。月出てきてないやんけ。いやまあそうなんですけど。んでもね、秋の夜に、ジョギングの足を弛める理由と来たら1つしかないよねってオイラは思うんです。

富:前から黄色い全身タイツの男が現れたから?
伊:そんなわけねーだろ。弛むどころじゃねーわ。全力で逃げるわ。


良いですよね。秋の夜のジョギング。地面を踏みしめて、涼し気な風を感じて、汗をかいて。生きてるなって実感があります。そこに、美しい月。そりゃスピードを緩めちゃいますよ。「月」と書かずして、月の美しさを表現しているところが凄いなぁ。IKUKOちゃんだよなぁ。




寛解へ歩く吾の道赤とんぼ
うつスピ

スターライトうつスピさんの句です(記事参照)。オイラは本気で自分の俳句の先生だと思っているので、ご本人からやめてくれと言われない限り、今後も先生とお呼びしますが、まあそれはおいといて笑 先ほどのワニ_Kさんと同じ「赤とんぼ」という季語を使っていますが、また味が全然違いますね。こちらは取り合わせ、引き寄せの句という趣です。


この句を選んだ理由は「寛解」のチョイス。「完治」や「治癒」ではないんですね。詳細が気になる人は調べて頂ければと思いますが、「完治」よりも手前の状態。症状は治まっているけど、再発する可能性もあるのが「寛解」です。決して安心はできない。noteの記事では多分初めて書きますが、オイラはパニック障害を発症したことがあるので、この感覚が分かるのです。


この「寛解」に「赤とんぼ」の組み合わせ。この句には、作者の実感が籠りまくっている。体温や息遣いも感じる。そのくらい、生の実感があります。




目を瞑り万事眺めや澄む秋に
おとや

目を瞑って、万事を眺めなさい。禅問答のようですが笑、作者のこの感覚、どこか分かる気がします。やっぱり、目に見えるものが全てじゃないって、みんな心のどこかで感じているんだと思います。そして物事の見え方は、自分の心の在り様でいくらでも変わりますからね。


思い込み過ぎず、悲観的にならず、物事をありのままに捉えられるように、まずは自分自身を見なさい。内観しなさい。そんな意思を感じます。季語は「澄む秋」。これもバチコンですね。邪念がない、澄んだ心で、万事を眺める。きっと、良い方向に進むと思います。




こんにちは挨拶をされ藤袴
友音

読んだ瞬間、ドキッとしてしまった。現代を感じさせる一句。藤袴の花言葉は「遅れ、ためらい、躊躇」。私は都心のマンションに住んでいますが、すれ違う際、挨拶をされない住民の方もいらっしゃいます。変な人に声を掛けて、目をつけられたら・・・って恐怖があるのかも知れない。時代的に仕方がないことかなと思いつつ、どこか寂しい、これで良いのかなと感じます。


隣に誰が住んでるかも分からない。関係性もないから話すこともない。そして、いきなり騒音を理由に命の奪い合いをするところに飛躍してしまう。そんなニュースを見るたびに、心が痛くなります。作者の戸惑いは、挨拶をされたことそのものではなく、挨拶をされた時に返すのを一瞬ためらってしまった自分に向けられたものかも知れませんね。




鰯雲三年ごしのマーチング
夕凪遥

この句には何も書かれていないけど、「三年ごし」で全てが伝わってきますね。やりたいことができない。本来、誰に迷惑をかけるわけでもないことなのに、この3年で様々な価値観がひっくり返ってしまった。自粛、自粛、自粛。「あと少しの我慢」がどれほど続いたことか。光明が見えて、また振り出しに戻される。「三年ごし」に、思いが込められていますね。だって、中高生は三年で卒業しちゃうから。


オイラも専門家ではないので詳細は分かりませんが、マーチングというのは、吹奏楽と動きを合わせたものですよね。みんなで呼吸を揃えて挑まないといけない。集まっての練習も大変だし、場所もないし、気を遣うし。それでも、今できることを懸命に。心を一つにして。反発や軋轢に世界が包まれてしまったこの時代。マーチングの精神から、学べるものは多いはず。


私たちは、同じ月を見ているのだから。





決勝はじまったってよ٩(๑•̀ω•́๑)۶


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