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頑張るとはなんだろう~宮口幸治『どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2』

 ベストセラーになった『ケーキの切れない非行少年たち』の続編である。このタイトルが気になった。
 いまの日本では、「頑張れ、頑張れ、頑張りさえすればなんとか自力で生きていくことができる」と、政府からも周りからも圧力をかけられている。
 一般人は「もう頑張るの疲れたよ」と言い、「頑張る」ことに息切れしながらも、推し活などで息抜きしつつ、何とか「頑張っている」。
 だが、まったく「頑張れない」人たちもいる。この本はそういう人たちについて書かれている。
 まず「頑張る」とはなんだろう。本書では次のように述べている。

”頑張ったらできる”というのは、「学校や会社など、どこかで認められる結果を出す」ということになるのです。

頑張っていると評価されるかどうかは、極端な話、「それがお金になるか、ならないか」によったりするのです。

「頑張っていない」のは場合によると、”お金を稼ぐことができない”と置き換えられてしまう現実があるのも事実なのです。

本書p46, p47, p48より

 そう、「頑張る」というのは「結果を出して、それをお金にすることができる」こと。だから親も先生も会社も、みなが「頑張れ、頑張れ」と言う。頑張れば支援してあげるよ。頑張れなければ社会から振り落とされるぞ、と。

“一生懸命努力して頑張れば必ずできる”
 この言葉にどれだけ多くの人たちが苦しめられてきたことでしょう。でも、いくら励ましても、頑張っても、できない子がいるのです。そして常にできる子と比較されます。

本書p49より

 自分もあまり頑張っている方だとは思わないし、目標もとくにない(生計が立てられればそれでよし)と思うのだが、なるほど、頑張れないというのはこういうことか。「自分で自分の生活を支える」という目標もないということかもしれない。
 「どうしても頑張れない」人たちは、働くことすらできなければどうしているのか。
 ほんらい生活保護を受けるべきなのに、何かの事情で申請していないか、申請して断られているか。そうした人たちは、昔は公園や川岸で寝泊まりしていたが、いまはネットカフェにいるのだろうか。
 あるいは、生活保護は受けているが貧困ビジネスにつかまって搾取されているのかもしれない。
 「どうしても頑張れない人」に「頑張れ、頑張れ」と社会全体で圧力をかけてきた結果がこれだ。これからはどうするのだろう。
 政府はますます貧者を切り捨てていく政策を取りつつある。
 取り残される子どもがひとりもいないようにという趣旨で「こども家庭庁」が設立された。だがやっていることは、「頑張って子どもを産んで、きちんと世話をする家庭には、いろんな『おまけ』をつけてあげるよ」である。「頑張らなければ『おまけ』もなし」、そして「頑張れない子を支援します」という政策は打ち出されていない。
 そういう子たちが大人になる。「頑張れなかった」ため、正規の職にはなかなか就けない。非正規職で不安定さと低賃金に甘んじるか、フリーランスという名のフリーターとなるか。前者ならば、いつ職を失うかわからない。後者ならば、インボイス制度の施行で振り落とされていくかもしれない。
 そうなれば、「頑張れない人たち」は、「生きること」そのものに頑張れなくなるかもしれない。現に、インボイス制度によって自殺者が増えると予測している識者もいる。
 社会からドロップアウトしてしまったら、まだ生きていきたければ犯罪に走るだろうし、そうでなければ20代からネットカフェ暮らし、年を取ったら誰にも知られないまま死んでいた……そうなるのだろうか。
 このままでは日本の治安は地に落ち、その結果、誰もが不利益を被ることになっていくだろう。
 「頑張れない人」を振り落とすだけでは社会の基盤がますます揺らぐ。政府には「どうしても頑張れない子」「どうしても頑張れなかったまま大人になった人」をすくい上げてほしい。
 生活保護基準を緩めろなどと言っているんじゃない。「頑張れない人」、いわゆる「タックス・イーター(税金を使う人。たとえば生活保護を受けるなど)」を「タックス・ペイヤー(税金を払う人。一般人)」にするのが政府の役割ではないのか。
 頑張れない人がほんの少しだけ頑張れるようになって、働いてほんの少しだけ税金を収められるようになる。そういう支援をするのが政府の仕事ではないか。
 具体的には、学校や更生施設に費用を割り当てて専門家を配置し、ひとりでも多くの「頑張れない子」が「ほんの少しだけ頑張れる大人」になるようにしてほしい。
 そうした政策をとれば、本人はもとより、誰もが、もちろん政府もその恩恵に預かると思うのだが……。

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