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誤訳のパターン6 内容を把握せず字面を日本語にしただけ(訳文だけ読むと意味不明)

 間違っている翻訳、つまり誤訳にはいくつかパターンがある。
 今日は、英文解釈の学習不足による「内容を把握せず字面を日本語にしただけ(訳文だけ読むと意味不明)」について訳文を挙げ、対策を考える。

意味をなさない訳文

It is proposed that the hospitality programme can be delivered using less than 1% of total ticket inventory, but could deliver around 10% of the ticketing revenue target.
ホスピタリティプログラムは全チケット在庫の1%以下の利用で可能ですが、チケット利益目標のおよそ10%を実現できると提案されています。

 この訳はどこかがおかしいというより、日本語だけを読むとさっぱり意味がわからない。「全チケット在庫の1%未満でホスピタリティプログラムが利用可能」とはどういうことなのか。それが「チケット利益目標の10%を実現する」というのもわからない。
 ただ日本語が書いてあるだけで、意味をなす訳文ではないのだ。おそらく翻訳者が英文の意味をとれず「字面だけ」日本語にしたものだろう。
 さらに言うなら、原文である英文も、ライターが書いたきちんとした文ではない。不明瞭な書き方で、よく考えないと「ほんとうに言いたいこと」がわからない文でもある。だがそれを「きちんとした日本語」にして納品するのもわたしたちの役割だ。

接続詞の前後で2文に分けて意味を把握

 こんなときは、元訳を捨てて一から訳し直すのが最善策だ。
 というわけで、英文だけを読んで意味を組み立てる。まずは等位接続詞butの前までだ。
 まずinventoryだが、inventoryを辞書で引くと「在庫」とある。だが、これは「枚数」のことを言っていて、total ticket inventoryで「チケットの全枚数」ではないだろうか。つまり次の意味になる。

It is proposed that the hospitality programme can be delivered using less than 1% of total ticket inventory
全チケット枚数のうち、ホスピタリティプログラムで利用できる分は1%未満であることが提示されています。

 では後半に行こう。主語が省略されているが、the hospitality programmeであることは明白だ。

but could deliver around 10% of the ticketing revenue target.
しかし(ホスピタリティプログラムは、)チケット利益目標のおよそ10%を達成できるでしょう

全体の意味を整理

 前半の助動詞がcanだったのと比べると、こちらはcouldだ。このcouldは未来を表す推量ととるのが妥当だろう。
 これですっきりした。つまり、こういう流れである。

ホスピタリティプログラムというのがある
→全チケット枚数の1%未満しかこのプログラムに割り当てられていない
→それなのに、利益目標で言うと10%を達成できるかもしれない

 では英文を再掲し、訳文を組み立ててみよう。

It is proposed that the hospitality programme can be delivered using less than 1% of total ticket inventory, but could deliver around 10% of the ticketing revenue target.
全チケット枚数のうち、ホスピタリティプログラムで利用できる分は1%未満ですが、このプログラムによって、チケット利益目標のおよそ10%を達成できるでしょう。

 これで意味のとおる訳文になった。全枚数のうち1%未満しか販売されないチケットだが(おそらく高価なのだろう)、それにもかかわらずチケットの利益目標の約10%を達成できる。つまり1%未満のチケットをできるだけ多く売ることが、利益目標を達成するのに効果的であると、こう言っているのである。

原文に戻って意味を理解し、日本語を整理してから訳文を作成

 とくに産業翻訳の場合、原文は必ずしも「プロの書き手」ではないし、意味を取るのが難しいことも多々ある。それでも訳文は、読んで意味のわかるように書くことが求められる。
 こんな場合であっても、プロセスはひとつしかない。
 つまり、原文に戻って意味を理解し、日本語として整理してから訳文を作り直す。
 結局は一から翻訳するということだが、このとき「前後の文脈から自分の把握した意味が通っているかどうか」を検証する必要がある。

チェッカー・翻訳校閲者の腕の見せどころ

 わかりきったことだが、すべての翻訳者が上記のようにできているのであれば、わたしのところに冒頭のような「変な訳文」が回ってくることはない。
 こういう誤訳を直すのもチェッカーや翻訳校閲者の仕事なのだ。いや逆に、こういうところをひとつひとつ拾えるかどうかで、チェッカー・校閲者の質が決まるとも言えよう。誤訳のない翻訳者など存在しない。それをどこまで拾える。それが翻訳校閲者の腕(スキル)である。

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