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努力の焦点

よかれと思ってやっていた努力が、結果につながらないことがある。過程に焦点が当たることはあまりない。そして大人は良くも悪くも、よほどの理由がないと誰かを窘めることはしない。あらゆるコストやリスク(時間、精神的疲労、人間関係の悪化、etc.)がかかるし、その結果事態が好転するとも限らない。それに、そういった機会は私にも幾度もあったが、そのたびに心へのダメージはそれなりにあった。自分の弱点や欠点をきっぱり言われるのは、嬉しい反面辛くもあるから複雑だ。

期待

努力や過程が認められるのは学生までで、社会人になったら結果が求められるとよく言われる。確かに努力の量は、他人には関係のない話だ。為された仕事を見て評価を下すのは自然のこと。一方で、期待される結果は勤続年数や経験の有無、今までの努力量で変化はするだろう。バイト一日目の新人くんが、初日から正確無比なレジさばきを求められることはない。外回りする新入社員には上司が付き添ってカバーをする。

そもそも人によって給与が違うのは、パフォーマンスや技量の差があるからだ。「努力や過程より結果」というと仰々しく聞こえるが、結局のところ他人から求められるレベルは今までの努力で決まる。努力や過程は間接的に評価され、それに応じて結果への期待が変わるのだ。

努力の焦点

とはいえ、頑張ってるのになかなか芽が出ないクリエイターや、評価が上がらない社員もいるだろう。運、権力構造、目立ちづらい内容…理由はさまざま考えられる。そのなかで一番コントロールができるのは、努力の焦点、つまり努力の内容と過程の質ではないだろうか。

他人に努力は見えないが、努力した結果は見える。ならば、自他が必要としている技能を把握して、時間とお金をかけて身につければいい。目標は何か、何をどのくらいやるべきか、そうした事柄を精査して焦点を絞ればいい。青写真や目標がしっかりしていれば、自ずと答えは逆算できるはずだ。

一方で、初めから一人で正誤の判断をするのは至難の業だ。というのも、どんな内容であろうと本人の努力や学びは偽りのないもの。だからこそ、不必要なことをしていても、タスクの量と頑張ったことに満足してしまう危険性がある。本人が満足して視野狭窄に陥るほど、道を見誤ってしまう。そうなってしまったら、残るのは「努力をした」という結果だけだ。

ズレたら直せばいい

努力の焦点を正確に絞り続けることは不可能に近い。もちろん理想的には、視野と見識の広さ、柔軟さを兼ね備えて自分のすべき努力を見定め続けたい。だが、そんなことができるのはその道ウン十年のプロか山奥の仙人ぐらいだろう。「完璧な計画を立てて、絶対踏み外さないぞ!」と意気込むよりも、なるべく早くピンボケを察知して修正するのが賢明な選択肢に思える。

焦点を直す方法はいくつか考えられる。情報収集をする、先輩と話をしてみる、いっそ完全に離れて別のことをしてみる…など、時と場合、人の好みで手法は変わってくるだろう。しかし、何より重要なのは「自分の焦点がズレている」と感じられるかどうかだ。いかんせん、人の思考にはどうしても死角がある。何かに失敗したり他人から指摘された時に、初めてハッとすることも少なくないのではないだろうか。きっかけはなんであれ、自分の焦点のズレや誤りは起きるものと考えて、改められるマインドセットであることもまた重要だろう。

焦点をかなぐり捨てたやべー奴

ところで、おぎぬまXという漫画家、作家をご存知だろうか。彼はお笑い芸人を経て、30歳で漫画家を志した。ギャグ漫画の赤塚賞受賞や『このミステリーがすごい!』大賞の最終候補に残る功績を収め、現在では小説や漫画単行本の出版までこぎつけ、YouTubeもやっているという凄いクリエイターだ。

…………………なのだが。おぎぬまX氏は漫画家になるために「ギャグ漫画100本書けるまで山ごもり」「断食」「完成まで人との連絡を一切経つ」という、漫画家を目指している人物とは到底思えない修行をしている。それより画力を磨くとか、編集部の意見を聞くとかした方がいいように思えるが、彼にそんな理屈は通用しないだろう。周囲の人々にも反対されたに違いない。それでも、一見無意味とも思える愚直な努力は彼の糧になったのだろう。焦点がどうこうより、彼ぐらい勢いで動くのも一つの道なのかもしれない。

現実は白黒じゃない

自分は理想を語るのが得意だ。それでも、現実の自分は努力をサボり、ついつい現状に甘んじてしまう。そんなときにふと、おぎぬまX氏のひたむきな姿勢をうらやましく感じてしまう。これで大丈夫だろうか、などと考えるのに疲れて何度も作った計画が破綻してる横で、計画の"け"の字もない奇行努力で結果を出す彼。とにもかくにも、手を動かしてみるのが一番なのかもしれない。

とはいえ、それでも行き詰ってしまうことはあるだろう。そんな時は、他人の知見に触れるとスムーズに行きやすいように感じる。飲み会の場で尊敬する先輩の話を聞くのだって、時には空を眺めてみたり、美味しいごはんを食べるだけでもいいかもしれない。求めている正解に至る方法はいくらでもあるのだから、それを言い訳にたまにサボって楽しいことをしてみるのもいいのかもしれない。
努力だって、結果に結びつかなくとも他人の印象は良くなる。「100本書くまで山で修行」なんて面白いエピソード持ってる人は他にいない。どんな努力であろうと、実際に行った内容を説明できるのであれば、決して無駄ではない。時に知恵を借りながら、試行錯誤して自分にとっての最適解を探すのもまた生きる面白さの一つだろう。


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