見出し画像

失敗トマトの深層心理

夏休みの宿題でひとつできなかったものがある「ミニトマトの観察画」。2年生はそれぞれミニトマトを栽培する。夏休みに入り家に植木鉢を持ち帰るまではへなっとしおれながらも小さく青い実がいくつかついていたのだが、猛暑でやられてしまったのかな。トマトの実は色づいたが水分が抜けてしまった。家に帰ると長男も気を抜くし、私も植物を育てるのが苦手。責任を感じないでもない…。「観察画できなかったて先生に言うかな」と長男は言っていた。なんだかもったいない気がするので失敗を成功に変える方法が何かないか考える。

完全無農薬だし7歳が苗から育てたというのは本当。子どもと商品企画あそびしたらどうなるかなジャムになるかなドライトマトになるかなパッケージはどうなってロゴはどんなになるかな楽しそうだなとひとり想像しだしたらわくわくしてとまらない。勉強ぽく真面目に話を持ってこられるとそっぽ向くこどもたち。きっと嫌がられるときは私の話の持っていき方がヘタなのだろうけど。

「このトマトは干からびてシボシボだけれども、復活できないだろうか。たとえばぶどうはレーズンにもできるし、ぶどうジャムにもできる。トマトも干したりジャムにしたりできるよ。なにかこのトマトの復活のアイデア考えませんか。」長男はまったく乗らない。

「たとえばこの失敗トマトからはトマトジャムはほんのちょびっとしかできないから『世界にひとつのトマトジャム』といったら魅力が出ないかな」まったく響いてない。やはり言いたいことが伝わらないのは私のスキルが不足しているのかも、話し方講座でも行こうかな… 。

「ジャムは100個あったほうがいいみんなが食べられる」と長男。あれれ、"人は希少性を求める"って学んだ覚えがあるよ。でも…ふと我に帰る。"希少性を求める人"は誰だろうと自分に問う。少なくとも自分は違いそう。限定何個を気にして生きてはいないな。夫も気にするタイプではないので自然と家族みんなもそうだ。ここで希少性を持ち出しても響かないわけだ。話し方講座の前の問題だった。すべてに使える型なんてありゃしない。ためしにいちどいろんな型を忘れてみよう。

ミニトマトはためしに干してみることにします。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?