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お手紙の保管方法と想い出

皆様、はろ~!
今日はですね、ちょっとお手紙/文通のお話をしようかと思いまして…。
久しぶりに長文を書きますよっ!

この記事、普通の事のように見えるかもしれませんが、わたしにとっては、
少し勇気が要るのです……鬱病が一番酷かった頃のお話を、少しするので。

あとやっぱり、お手紙って、とってもプライベートな物ですので、
心の内をお話するのって、勇気が要りますよね…。
どちらかと言えば、心の中を『覗かれる』ような気分ですし…。

でもね……心を開かないとイケナイのです。 わたしは閉じ過ぎなのです。
でないと、闘病エッセイ漫画なんて描けないと言うか、完成しません。
この記事は、わたしの漫画完成への大きな一歩だと思って下さいませ!

皆様は、他の方々から頂戴させて頂いたお手紙を、どうされていますか?
わたしは、ずっと大切に持っております…それこそ、いつまでも。

しかし、お引っ越しなどの大きな出来事があったりすると、
さすがに全てのお手紙を一緒に持っては行けず、悲しいですが、
手放す必要もあるのです…。

今日は、久しぶりにお手紙の大整理を致しました。
写真に写っているのは、わたしの1軍のお手紙コレクションです。
そうです、数々のお引っ越しを生き延びて来た、サバイバーなお手紙達!
何年経っていようが、たとえ黄ばもうが、捨てられない、大切な物達…。
(※写真には写っておりませんが、まだあと2箱もあります。)

箱を開けなくても、最古のお手紙(と差出人)は記憶しております。
その人は、もうわたしの人生には居ない人で、わたしの存在なんて
これっぽっちも覚えてはいないと思いますが、わたしは、いつまでも、
いつまでも大事に、初めてもらったお手紙を持っているよ……。

そのお手紙の存在を忘れた事は無く、いつも胸の中にも仕舞ってあります。
ワザワザ箱から取り出して見なくっても、シッカリと思い出せます。

そのお手紙を初めてもらった時の衝撃は、今でも忘れておりません。
封筒も無く、直接手渡しされた、そこら辺の紙に書かれたお手紙ですが、
わたしはずっと大事に持っております…。

ふと思ったのですが、もし、その人といつかどこかで再開出来たとして、
『お手紙、まだ持っているよ!』と伝えた時に、果たして喜ばれるのか、
それとも気持ち悪がられるのか、HSPとしては気になるトコロです(笑)。

お手紙は、このようにジャンル分けしております。
右側のサンタの箱の中には、クリスマス・カードのみが入っております。
左上側の箱には、2020年以降の、新しいお手紙が入っております。

透明な袋に入っているお手紙は、大半は古い物で、シッカリと水分から
ガードされております。世の中、いつ大洪水になるか判りませんので、
こうして少しでも、お手紙類を水から守り続けているのです!

わたしの1軍のお手紙コレクションには、とある『決まり』がございます。
数あるお手紙達の中で、一体何が、そのお手紙をいつまでも捨てさせずに
生き残らせるのか?

それはですね……大抵の場合は、『絵』です。
中に絵が描かれてあると、たとえラクガキでも、もう捨てられません。
『全ての絵は美しい。』と、誰かが言っておりましたが、確かにそうかも。
何年経っても色褪せない『何か』が、そこには宿っているのです。

あとは単純に自分にとって、何かすっごく意味のあるお手紙。
想い出深いので、一生捨てられません。

それから、わたしへのお誕生日カード…。
わたしがこの世に誕生した日を… わたしの存在を… 生命(いのち)を…
お祝いして下さる方々のお気持ちを、どうして捨てられましょう??

 『わたしなんかでも、この世に生きていて良いんだ…!』
という気持ちを思い出させてくれる、大切なカード達です。

すっごく悩んだのですが……。
今日は勇気を出して、1軍のお手紙コレクションの中から、
ほんの一部だけ、わたしが今でも大切にしているお手紙をご紹介致します。

悩んだ理由は、お相手の方々に、ご迷惑が掛かったりしないかな…?
という心配があるからです。

わたしが文通でやり取りをしていた人達の中には、
ちょっと有名だった方もいらっしゃって、絵柄で特定されないかが心配で…
でも逆に、こういう気持ちもあります:むしろ、この人達を捜してくれー!

でも、もうかなりの時間が経っておりますので、彼らももう、
絵柄が変わっている事でしょう(もしくは絵自体をやめていると思う)。

…だからこそ、勇気を出して、とある4通を載せますッ!!!
コレだぁーっ!!(バ~~~ン!!)

まずは、1通目と2通目。
このように、何らかのお絵描きが入っているお手紙は、捨てられない…。

特に左側のお手紙の絵は、わたしが人生で初めてもらった、超絶上手い絵!
当時も『上手いっ! もしかして、プロの漫画家なの?!』と思いましたが、
今見ても、その気持ちはまったく変わりません。

当時、わたしはその人の超絶上手い絵を見て、その人をいつか超えたいと
思いました。ずっとずっと、わたしの絵心の励みになっていたのです。
まあ、ご覧の通り、今でもまったく超えられておりませんが(笑)。
わはーっ! やっぱアメリカ人は、絵では日本人には勝てんぜッ!!

このお手紙は、あまりに衝撃が強かったので、お手紙をワザワザ
箱から取り出して見返さなくっても、すぐに頭の中に思い浮かべられます。
わたしの一生の宝物なのです……私が死んだ時には、どうか一緒に
棺桶に入れて欲しいぐらいです。

そしてコチラも、勇気を出して公開する3通目です。
メッチャ大作を送って来られる方も、中にはいらっしゃいました!
彼は、今でも絵を描いているとしたら、アニメーターになっているのでは?
背景を描くの、上手過ぎっ!!

しかも彼は、コレ1枚だけでなく、ほぼ全てのページがこんな感じで、
毎回毎回、どれだけの時間を掛けていて下さったのだろう……。

当時のわたしは鬱病が一番酷い時期で、そんな事を考えられる余裕も無く、
ただひたすら『細かくてスゴイ!』という感想しか抱けませんでしたが……
今、もう一度見返してみると、彼はもしかしたら、夜まで無理をしてまで
こんな大作を描いていてくれたのではないか……と思うと、切なくて…。

彼は本当に優しい人で、わたしの数少ないお絵描き仲間でもありました。
『わたしは鬱病かもしれない……。』と、自分でも実感出来ていた頃かな。
それを、人様に伝える勇気はありませんでした。

惨めで、恥ずかしくて、弱くて、カッコ悪くて、とにかく嫌でした。
でも彼には、不思議と『死にたい』という素直な気持ちを打ち明ける事が
出来たような記憶があります。

その時、彼はふと、こんなカードを送ってくれました。
『鬱病? じゃあ君は今、こんな笑った顔をしているの?
 それとも、痩せこけて白髪まみれな顔をしているのかい?』と、
いつものお茶目な彼らしく、冗談交じりで、こんな絵を描いてくれました。

当時のわたしですからね、絶対に右の顔の方が似ていたと思います(笑)。
当時、コレを見てクスリと笑えたような記憶が薄っすらございます。

そして今見ても、笑える……いや、むしろ泣きそうです。
彼はどんな気持ちで、この絵を描いていたのだろう……。
たくさん心配を掛けてしまっただろうな………。
自分が情けなくて、不甲斐ないや…。

この人達はもう、わたしの人生の中には居りませんが……。
わたしは、ずっと忘れておりませんし、忘れもしません。
忘れたくもないのかもしれませんね…。

自分の中で、またこの人達とお話してみたい気持ちはあります。
可能性はゼロに近いですが、もし、万が一でも、ご本人様が
この記事を見ていらっしゃって、『あれ?コレ自分のじゃない?』
という心当たりがあるならば……ぜひ、ご連絡頂けないでしょうか?

わたしのNoteの一番下に、『クリエイターへのお問合わせ』リンクがあり、
そこからわたし宛てにメールが送れますので、宜しくお願い致します!
ちゃんとご本名を名乗る事をお忘れなきようお願い致します。

わたしの鬱病が一番酷かった時期に、迷惑を掛けてしまったであろう
一部の人達に、どうか泣きながら謝る機会を与えて下さいませ……。

もし宜しければ応援と金銭的サポートをお願い致します。 闘病エッセイ漫画を描く為の材料費にしたり、 生きて行く為に大切に使う事を誓います。