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日本に来てから1年。

そういえば、日本に来てから1年が経ちました。
周りの人達は皆、『早いね、あっという間だったね!』と言いますが、
わたしの感覚では、まだ日本に来てから3~4ヵ月という感じです。

ですので、1年経った今でも、まだお引っ越し荷物が片付いておりません…。
あと1箱なのですが、なかなか、この最後の1つが片付きませんね。
病気なのでしょうがないのと、日本に来てから闘病がハードだからです。

去年の今頃は、まだ気持ち的にハッピーでした。
アメリカから持って来た数種類のお薬で、恐らく状態が安定していたのと、
日本に来たばかりのワクワク感で、胸も脳もいっぱいだったからでしょう。

ですが、日本では処方出来ないお薬も色々と存在しており、
服用するお薬もガラッと変わりましたし、闘病が色々と長くハードです。
それだけでも挫けます。

お薬の副作用のせいもありますが、去年の11月からずっと鬱続きで、
ココ1年近く、心から笑えておりませんし、心から楽しい時がありません。

日本に来た事は、果たして正しかったのであろうか………?
そんな事を考える事も増えました。

実際、日本に来てからは、わたしをイジメる者はどこにも居りませんが、
複雑性PTSDという病気のせいで、それを上手く認識出来ておりません。
わたしは今でも24時間ずっと、イジメられ続けているのです。 頭の中で。

『日本にはもう、メリカの味方しか居ないよ!』と言ってくれる人も居り、
そのお気持ちはうれしいのですが、やはり、上手くそれを認識出来ません。

また、去年の今頃は、人生初の熱中症でブッ倒れておりました。
日本の殺人的な、湿度の高い暑さには不慣れなのと、当時はまだ
引っ越して来たばかりで、家に冷蔵庫もエアコンもありませんでした。

さすがに1年経っておりますので、今はもう、家の中は家具などが揃って
おりますし、お引っ越しのダンボールが全て片付いていない以外では、
大丈夫なのですが。

『日本にはもう慣れましたか?』って訊かれるのが苦手かもしれません。
どう答えたら良いのか分からないからです。

実際、1年経って、ようやく隣町の名前がシックリ来たぐらいですから。
やはり英語じゃないから、すぐには覚えられないのですよね…漢字ですし。
日本語の人名や地名って、読めない事の方が多いですから。

1年経っても、未だに自分の家の住所も、同じ理由で、覚え切れません。
何もかもが、アメリカとは違う………。

唯一頭で覚えていられているのが、日本での携帯番号ぐらいでしょうか。
アメリカの電話番号よりも長いのですが、何故か日本での電話番号だけは、
すぐに覚える事が出来ました。 共感覚の影響(色や音)かもしれません。

日本に来て、わたしの中にある『淋しい』の感情が強くなりました。
アメリカに住んでいた頃に、毎日のように会えていたママや親戚とも、
お友達とも、もう全然まったく会えないからです。

実際、わたしには、生身で会えるお友達が、1人も日本には居ない………。
病人という事もあり、家から外に出る事もありませんし、毎日、夫としか
顔を合わせられず、とても淋しいです………。

この、家の中に幽閉されている感覚……日本に来ても、変わりません。
ただ、1つだけ、日本に来てから、変わった事があります。

まだアメリカに居た頃は、外で、学校の誰かと出くわすのではないかと、
とても怖くて怖くて、お外なんて行けませんでしたし、大っ嫌いでした。
でも日本ではその可能性が超絶低いので、外出が怖くなくなりました。

むしろ、1年経った今でも、まだ日本では見慣れない物の方が多く、
外出が気分転換でもあり、楽しみにもなりました。

お外大っ嫌い人間が、少しはお外の事を好きになれたのですから、
コレは良い変化でした。 日本に来てからの、唯一のプラスかも?

本当なら、もっと冒険してみたいのですが…1人で出かけたりなど。
でもやっぱりまだ、病気のせいで、わたしは1人で出かけられそうに
ありません。 怖いし、不安です。

本当なら、1人でコンビニや図書館などに行ってみたいのですが…。
多分、一生その夢は叶わないでしょう。

わたしには一生、誰かが必要です……。

とにかく、日本は何もかもがアメリカとは違うので、慣れません。
特に病院やお薬関係の事が、あまりに違い過ぎて、時間が掛かります。
何にって、闘病ライフにです。

実際、日本に来てからの1年近く、ほぼ闘病ばっかりしているような…。
病気歴が長いので、闘病は一生モノですし、終わりはありませんが…。
それでも、日本に来たら、何かが大きく変わると信じておりました。

環境がガラリと変わるのですから、それだけで変化が出るのではないかと…
日本に来たら、何もかもが魔法のように治るのではないかと、
ちょっと期待していた部分もありました。

実際、お友達とかも、『メリカは日本にさえ行けば、治るよ!』と
言っていたぐらいでした。

でもやっぱり、終わりの無い、長く苦しい闘病が待ち受けておりました。
アメリカでは出来なかったタイプの治療も受ける事が出来ましたが、
やはり、それも長く苦しい物です。

ロナセンから始まった複雑性PTSDの治療は今もまだ続いており、
今はお薬が変わったものの、色々と辛いのが現実です。
日本に来てから新規の病気も増えましたし…。

お引っ越し荷物のラスト1箱はこの際どうでも良いのですが、
早く闘病が落ち着いて欲しいです……。

あと、実際に生身で会って遊べるお友達が欲しい……。
日本には相変わらずオンライン上のお友達しか居らず、とても淋しい……。
1年も経つのに、未だにお隣さんが誰なのかも知らないぐらいだし……。

とにかく日本に来てから、『淋しい』……ずっと淋しい……。
『淋しい』と呟くだけで、涙が出て来るレベル。

そんな感じで、わたしの日本での1年間は、『孤独』でした。
あと闘病で『辛い』、『苦しい』まみれです。

病気じゃなければ、もっと日本生活も楽しかったのかもしれません。



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