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反論作法

反論するときほど、礼儀やモラルが必要だ。誰かの意見を否定したり、反対運動を繰り広げたりする人を見ていて、そう思う。相手は自分と意見が違うから何をしてもいい、と思っている人は単純に怖い。怖くて失礼な人を応援したい人間は、まずいない。

この間、公園のベンチに座って買ってきたドーナッツを食べようとしたら、背もたれに小さな紙が貼られていた。見てみると、菅政権に反対する文言がおどろおどろしいフォントと色で書かれている。「♪おやつの時間♪」と浮ついていた気持ちが、少し白けてしまう。午後の公園で、さあゆっくりしようと思っていた気分がこんな風に削がれて、私はその紙を貼った見ず知らずの人に反感を持った。結局それを剥がして、ドーナッツの包み紙と一緒にゴミに捨てた。

それは別に、紙に書かれていた内容に反対するからじゃない。政治的運動が嫌いだからでもない。ただ、自分の快適な場所をそんな風に扱われるのを拒否しただけだ。私にとって公園のベンチは、主張を紙に書いて貼る場所じゃない。腰を下ろして休む場所だ。おどろおどろしいフォントも色も、無関係であってほしい。ただそれだけ。

公園の管理者から許可を貰ってやるなら、掲示板あたりに貼り出すはずだ。そうでない以上、誰かが完全に非公式で、誰の許可も取らずベンチにその紙を貼ったんだろう。あんまりいいやり方じゃないな、と思う。

もし万が一、ベンチにそういう貼り紙をした人がこれを読んでいたら、止めたほうがいいよと言いたい。

公園は皆のものであって、誰かが好き勝手使っていいところじゃない。ベンチは座って休む場所であって、主張を貼り出す場所じゃない。もし誰かに伝えたいことがあるなら、SNS を使うとか、どこかにポスターを貼ってもらうとか、ニュースレターを発行するとか、いくらでも手はあるはず。そうやって正式な手続きを踏んで意見を発信する人のほうが、ずっと広い支持を得られる。椅子の背もたれに喋らせるより、ずっと味方が増えるって約束する。

だけど、そう言っても聞いてもらえないだろうな。たぶんあれを書いて貼った人は、反論されたくないのだ。反論されて傷つくのが嫌だから、匿名であんな場所で主張して、相手の意見を聞かずに済ませようとするのだ。

でもそれ、どこにも行き着かないよ。ベンチに座った無辜の民が不快になるだけで、それじゃ嫌がらせや弱い者いじめと何も変わらない。反論することについて、そんな風に思う。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。