世阿弥──媚びもせず、孤立もしない芸

「幽玄」のイメージで語られることの多い世阿弥だが、優秀なショーマンでもあったように思う。芸商人、とでも言うべきか。とにかく観客の視線をずっと意識し、観客の視点を計算に入れている。そして、独りよがりの自分の演技に陶酔することを、激しく忌み嫌う人だったようだ。

いま読んでいるのは『世阿弥のことば 100選』という本で、能の関係者が世阿弥の言葉をひとつ取り上げ、それについて1ページのコメントを書く、気軽に読める作りになっている。

(『風姿花伝』をイチから読もうとして、難解さに首をひねった自分としては有り難い。つくづく、ああいうのはマニアか研究者のものだ……)

その中で、こんな一文が引かれていた。

仮令、源平の名将の人体の本説ならば、ことにことに平家の物語のように書くべし
(『三道』軍体)
──例えば源氏や平氏の武将を主人公にするなら、『平家物語』に忠実に描くべきだ
(現代語訳:筆者)

世阿弥の時代、『平家物語』は「祇園精舎の鐘の声~」で始まる琵琶法師の語りによって広く普及していた。当然、能でもそれを題材にする。その際に、よく知られた彼らの人物像を勝手に変えてはいけない、という戒めだ。

確かに、観客と物語を共有するために有名なキャラクターを持ち出すのだから、「この人はこういう人」というイメージを崩したら共感は得られない。例えば「シンデレラ」という名前で出てくる人物は「こき使われている哀れな少女、心の清らかな娘」を思い起こさせるだろう。人々はそれを前提に物語を見る。そこで「シンデレラ」が意地悪な性格をしていたり、宝石をじゃらじゃら下げていたりしたら、観客は「この人、誰?」「シンデレラ出す意味ある?」と感じるだろう。

例えがこれでいいかはわからないが、恐らく、そんなようなことだと思う。

世阿弥は、幽玄の世界で神秘にまみれて生きていたわけではなく、俗世のこともよく見ている。常に地に足がついていて、芸術家を気取ったりしない。観客に受け入れられること、そして自分の芸の追求をどこまでも両立させていこうとする、薄氷を履むが如し張りつめた感がある。

記事を書くついでに、その最期について調べてみたら、晩年は不遇だったらしい。権力争いに振り回されて左遷、佐渡に流され、その後は不明。京都に戻ったかどうかの記録もないらしい。当時の能役者はパトロンの存在なくしては生きていけないわけで、世阿弥も例外ではなかったのだ。

才能があるだけでは世渡りはできないと悟った人の、透徹した現実主義が、世阿弥を天狗にせず観客重視にさせたのかもしれない。少なくとも、己の才能に酔ってばかりいられなかったのは事実のようだ。

他者の目を気にすることは悪いように言われがちだけれど、それがなかったら身勝手で独りよがりになるばかりだ。世阿弥は、幸か不幸か、そういう境遇だけは回避できた人だった。観客に媚びるでもなく、自己陶酔するでもなく。芸の世界っていうのは、そんな緊張感との闘いなんだと、改めて感じ入った次第です。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。