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#スポーツがくれたもの

一点差だった。負けていた。決勝戦だった。

私たちは女子バスケットボール部の応援に駆り出されて、二階の観客席にいた。中学校総合体育大会、略して中総体。それが運動部にとってどれだけ大事な大会か、いまでもよく知らない。私は美術部員で、文化部だというだけで応援をさせられていた。

バスケの試合というのは意外と激しく、男子より女子のほうがプレーが荒い。ボールを取り合ってコートを転がる選手もいて、応援している子たちは「ジョバス怖ぇ~」と囁き合った。その子たちも含めて、皆が静まりかえる。試合時間は、あと二秒しかない。

相手のファウルでフリースローを打てることになった後輩が、一本目を打っている。これで決まれば同点だ。でも入らない。試合はあと二秒のところで、ストップウォッチが止まっている。もう一本。張り詰めた緊張感の中、その子は二本目のシュートも外す。

止まっていた時が一気に動き出し、コート上に無数の音が広がる。落ちてきたボールの跳ねる音、バスケットシューズのきしむ音、そして応援席の、落胆とも動揺とも取れるざわめき。何もかもが一度に起きている中、キャプテンだったなっちゃんが、ボールに食らいつくのが見えた。

なっちゃんが、すごい勢いでボールを取る。両腕を上げて構える。ボールが手を離れ、ゴールに吸い込まれて──そこで試合終了の笛が鳴った。

電光掲示板を見ると、確かに味方に二点入っている。一点差の逆転勝ち。ジョバスこと女子バスケットボール部は、見事に優勝を飾ることとなった。そのときのどよめき、コートの上に広がっていたなんとも言えないヒリヒリした雰囲気、肩を落とす相手方のキャプテンと、勝ちが決まっても表情の変わらないなっちゃん……。

スポーツの記憶と言えば、これが真っ先に浮かぶ光景だ。

体育会系の人たちは、ずっと好きになれなかった。運動部の上下関係の激しさ、先生から飛ぶ理不尽な罵倒、いじめや体罰が嫌いだった。「スポーツやってる人は心が綺麗」なんて言う人は、何を見てそう言うんだろう。私のいた美術部では、コンクールで入賞できないからって、先生は怒鳴ったりしない。持ち物を隠されることもなければ、挨拶しなかっただけで先輩からしばかれることもない。トイレに入った途端、電気を消される嫌がらせだって起きない。そういうのは全部「スポーツやってる」人たちがやることだ。

応援に駆り出されるのも本当は嫌だった。吹奏楽部は野球部を応援するけど、本来、金管楽器は外で鳴らすものじゃない。文化部はいつだってそうやって扱われる。運動部のお飾りにさせられるけど、彼らが私たちのコンクールを応援してくれることはない。スポーツの印象も運動部の印象も、私の中ではずっとずっと悪かった。平たく言えば、大嫌いだった。

それでも。あのときのなっちゃんは凄かった。

相手をディフェンスしつつ、ずっとボールから目を離さなかった。最後の最後まで、自分たちが勝つんだと信じている気迫があった。キャプテンだ、プレッシャーがなかったはずがない。一点差で負けるという、その事実を絶対に認めないかのような強い表情は、二階席からでもよく見えた。怖かったけど、すごかった。

私は、なっちゃんを少しポカンとした人だと思ってた。図書室で本を借りようとしたら受付時間が過ぎていたり、社会のテストでルイ14世と16世を間違えたり。不真面目ではないけれど、どこか抜けている子。その認識を改めたのは、間違いなくあの中総体だった。

結局なっちゃんは、そのプレーが功を奏してか、その年の最優秀選手賞に選ばれた。誰も文句はなかったと思う。中総体が終わってどれだけ経ったのかわからない、もう皆が冬服になった日、なっちゃんは表彰されて舞台の上にいた。バスケのために短く切っている髪、ちょっと吊り上がった目、険しさのない白い顔。それはいつものなっちゃんで、試合をしていた彼女とは別人に見えた。

今でも、スポーツが美しいものだなんて思わない。やっている人の心が綺麗とか、チームの絆の大切さを学べるとか、そんなのも半信半疑で聞いている。あれから10年近く経っても、やっぱり体罰が起こるのは運動部で、文化部は永遠に添え物だ。文化系でならありえないことが、体育会系にはあっさりと許される。綺麗でもなんでもない。

それでも、スポーツには美しい「瞬間」がある。皆あの瞬間のためにスポーツをするのだと思う。一秒を争う世界、そこでしか見られない人の集中力や凄まじいプレー、終わった後の喩えようのないざわめき。そのすべての瞬間が、中毒にならないはずがない。

私は三年間、美術部で絵を描き続けたけど、あのときのなっちゃんを超えるような濃密な時間はなかった。後悔はしていない。私はスポーツにとって傍観者だ。そうして、その美しいところだけを見ていればいいんだ。その一瞬の美しさがいつも、私にスポーツの存在意義を教えてくれる。

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