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人の目を気にしてみても

変わっていると言われた

「相当、変わってますね。」そんなことを言われて、意味も分からずに落ち込んだことがあります。実際に僕の状況を知っている人からすると、こうして毎日「note」を書き続けていることが、どうやら理解出来ないみたいです。

僕の仕事は、ある施設で3食の食事を作ることです。何処の世界でも同じかもしれないですが、現在のところかつてない人手不足に陥るといった問題を抱えています。働き手がいないことや働き手が高齢であること。あと、一年先もどうなるのか分からないことに、大きな不安を抱えている状況なのです。

この仕事をはじめたときから、とにかく人手が足りませんでした。そのせいで、休みも取れなくなってしまっているんです。そして、いつも時間に追われてしまうのです。だから、そんな状況で、別のことを続けていることに驚かれてしまうのでした。時には変人扱いされてしまうことがあります。馬鹿にされたこともたくさんあります。そんなことをして何の意味があるのかと、面と向かって言われたこともあります。

そうした人の目を気にして、自分のやりたいことなのに、とてもやりづらさを感じるのです。一時期は、隠しながらこの「note」を書いていたくらいでした。

人の視点は立場で大きく変わっていく

思い返してみたら、僕も批判的なことを言う側の人間でした。高校生の頃、みんな青春を楽しんでいた頃です。ある同級生は、どんな時であっても、欠かさずに勉強していました。テストが終わってみんなで打ち上げしようと声をかけても、勉強するからと言って断られたのです。どうして、そこまで勉強するのかと聞くと、勉強が好きだからというのです。僕を含めた同級生たちは、オタクだとか頭がおかしいんじゃないかと言って、囃し立てました。その同級生を変わった人として扱っていたのでした。

その後、その彼は、みごとに東大に行くことが出来たのでした。

当時は、あいつなら行けて当然だったかもしれない。と、思うくらいですが、今改めて思い直してみると思うことがあります。

彼を含めた東大に行った人達からすると、変わっているのは僕のように勉強していることを馬鹿にしている人の方だったのではないかということです。どうして勉強もしないで楽しそうに遊んでいるのかって、おかしな人間に見えていたに違いありません。

僕の常識だったことは、誰かにとっては非常識に見えてしまうのだということ。

アリとキリギリスのお話しだって、それぞれの立場からみると、どちらにも正しさがあり非常識な部分があるのです。そう思うと人の目なんて何の意味を持たないということ。だから、人の目線というのは、自分にとって何の意味もないものだということです。

立場が変われば、常識も変わるのです。変人とかおかしな人といわれるのは、そもそも、ただ少数派だってことだけなんです。

今の僕だって、同じものだと言えます。自分の時間のほとんどを仕事にしていて、さらに、社会の役にたちたいと努力する。普通では考えられないかもしれません。ですが、ひょっとすると世界を動かすとか、何かを成し遂げようとする人からすると、それは当たり前のことなのかもしれません。

つい最近の話ですが、イーロンマスクの本を読みました。彼は常にどんなときだって仕事をしているように感じました。彼ほどの情熱や熱量を持って、仕事をしている人はそうはいないように感じました。だから、何事においても規模が違います。その分、問題も大きいし山ずみです。押し寄せる重圧やプレッシャーはとんでもないものだと想像できるのです。それでも、立ち向かっていくのは、誰にも出来ないことです。彼からすれば、僕らは非常識で考えらない存在であるに違いありません。

だから、自分の信じたことをやるだけなんです。それが実を結ぼうが、何の意味もなさないかは問題ではなく、自分という人間が自分の人生に満足できるかが大事なのですから。

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今日も自分をご機嫌に。
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