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本当の自分と向き合うこと

自分のことはよく理解しているつもり。しかし、本当にそうでしょうか。多くの人は思いこみや認識のズレがあって、自分自身を正しくは理解できていないものです。だから、自分の価値観を言葉にすることが、なかなか出来ないのではないでしょうか。

僕もそうだった。自分のことなのに何も分っていませんでした。

学生の頃の僕は、嫌いな人はいないとか言っていたし、自分でもそう思っていたくらいでした。本当のところはみんなにいい人だと思われたいという危機感があったからに違いない。ただ、自分のことを知ろうともしなかった僕がそのことにさえ気付けるはずもありませんでした。

だから、僕は悩みが絶えなかった。人間関係が上手くいかない。将来何をしたいのかを考えても思い付かず不安にしかならない。自分のやっていることに苦しさを感じてしまうのに、その理由が分からない。行きたくもない誘いに出かけ、知り合いから言われたくもない嫌味を言わる。

それらに対して、ただただ、顔をゆがめるくらいしかできなかったのです。今思うと、嫌と感じていたなら、距離をおけばいいだけの話だと言える。そんな自分を若いと片付けることもできるのですが、そんな経験をしてきたからこそ、本当の自分と向き合う事の大切さがわかるようになれました。

人として許されないほどの過ちまではいかないものの、少なからず僕らは過ちをして、人生を学び成長していくものでもあるから、当時の自分を責めるのは止めておこうと思います。

ただ、僕は自分の気持ちを見ないふりや知らないふりをしてしまった。その結果、自分の向き合い方がわからないといった後遺症を持つことになってしまった。

それは、確かに人としての過ちまではいかないものだといったけど、僕の人生にとっては、アイデンティティが揺らぐほどの過ちではないかとおもうのです。そして何より心の病気になりやすいのです。

心を健康に育てていくためには、自分の好きな部分も嫌いな部分もきちんと自覚していかなくてはいけないということ。

そこで必要になるのは、どんな時も自分で選択していくという覚悟です。

自分が選ぶことで、自分がどんな気持ちになれるのかが、ちゃんと知ることができる。

例えば友人と食事に行く時に、うどんが食べたいと思っていても、友人がラーメンの方が美味しいと言われ、ラーメンを食べに行く。その時にラーメンが美味しいと感じても、はたして本当に自分がラーメンが好きかどうかは分からないのものなです。

友人がラーメンが美味しいと言ったからといったから、その友人が大切な友達だったから。ラーメンが好きという感情に色んな要素が複雑に絡んでしまっているから。

とはいえ、全て自分の我を通そうということではありませんが、自分の人生の選択においては自分で選択し行動することが大事で、その時の心の反応で本当の自分がみえてきて認めることができるのです。

つまり、本当に自分と向き合うことは、自分で選択して行動を起こし、その時に感じたことをありのままちゃんと受け取っていくこと。

そうやって、ありのままの自分に出会えることができることは、自分の欲に対して許せる範囲が増えていくことにつながっていく。

隠してきた欲望を少しは許せるようになれるということ。自分の好きや嫌いを表に出すことが出来るのです。

確かに嫌いなことを嫌いと言うのは、とても疲れること。だから、億劫になりやすい。だけど、本当の自分を知と向き合うことで、それだけ自分にも人にも出来事にも優しくなれることができるのだということです。

つまり、自分をうまくコントロールすることが出来るということなのです。

自分を上手くコントロールすることができるというのは、自分に対しての信頼感は、絶対に失敗しないという信じ方ではなく、自分なりにいい方法だと決定して、どんな結果につながっても責任が取れるということなんです。

だから、どんなことがあっても人生の選択を人に委ねてはいけない。自分で選んで決定していくのです。それがまさに本当の自分と向き合うこと。

人生の選択と自分の信頼感と自分を知ることは、まさに密接に関係していて、歯車のようにかみ合っているということ。それらをきしむことなくスムーズに回転していくときに自尊心という、自分を尊重することが出来る生き方が出来るのです。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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