生きる勇気の育み方
勇気がなくて
何度となく、自分に対して歯がゆい思いをしてきました。自分自身の意気地の無さに呆れてしまうのです。その癖に、プライドが高い。変なところで意地になってしまうのです。そんな自分が何よりも嫌いでした。
自分でも驚くぐらいネガティブ思考なんです。こうしたいと思うことも、自分の中でどうしようもないくらいのデメリットを思い浮かべては、躊躇して思いをくじいてしまうのです。それでもって、いつまでもうじうじしてしまうのです。そんな自分も凄く嫌いでした。
こうした自分の弱さに打ち勝っていくのには、勇気を出すことだと思うのです。ですが、いつも勇気をくじいては挫折してしまう。僕の中の勇気は振り絞ったところで出てきてはくれないのです。
もともと勇気って、持って産まれたものだと思いました。人それぞれの能力であり、才能のひとつであるものだと。だから、僕には勇気が備わっていないものなんだ。だから、多くのことを諦めてしまうことは仕方のないことで受け入れるしかないものなんだと考えていたんです。
ですが、分かったことがあるのです。勇気って育むことが出来るものなのです。
勇気を育むために
僕は自分の勇気の無さがこんなかたちで自分を苦しめてしまうようになるとは思いもしませんでした。自分がひとつのチームのリーダーになった時に、人に注意することが出来なかったのです。
明かに相手に非があることでも、気をつけるようにとすら言うことが出来ませんでした。理由は明かでした。もしも、自分が同じような失敗をしたら、たちまち立場を無くしてしまうからと恐れていたからでした。
遅刻した相手に対して厳しく遅刻をするなって叱ったくせに、次の日、自分が遅刻をしてしまったら、どうでしょう。その言葉はたちまち信憑性を失い、これまで積み上げてきた関係性も失ってしまうのです。
人を指導するということは、自分への約束が増えていく。それは、明かに自分を縛り付けて追い込むものではないかと。それは、危ない橋を渡るようなものだと感じたんです。
多くのリーダーというのは、そうした重い責任を背負っているものだと思いました。それが出来ない僕は自分にリーダーとしての資格がないと思ったんです。
そう考えた僕は、その時に信頼していた上司に伝えにいきました。自分はリーダーに向いていないから、外して欲しいと。そうしたら、その方は、自分がはじめてリーダーと言う立場を任された時の話をしてくれたのです。実はその方も、最初は人に注意することが出来なかったそうです。責任に押しつぶされて、食欲もなく、胃がおかしくなってしまったと。
「そして、今でも、人を指導することはとても怖いものだと感じている。凄く緊張するものなんだって。だから、一緒に頑張って行こう。」
そう言って貰えたとき、自然と勇気が湧いてきたのを、今でも憶えています。僕も、頑張ってみようって思い直せたんです。
何よりも僕にとって、その時の言葉が凄く心に響いたのです。
それから、人を指導したときや人に何かアドバイスをしたとき、僕はこう付け加えるように心がけるようになりました。
「一緒に頑張って行こう。」
完璧な人間なんかいません。誰もが失敗するし、その失敗から抜け出せない時だってあるものです。クヨクヨしてしまう場合もあると思うのです。
だから、何も完璧であろうとする必要はないんだと思います。共に、成長していこう。そういうことで、自分にとっても伝えたい相手にとっても、何よりも励みになるし、背中を押してくれるものになるのだと感じたんです。
だって、同じ目標を持って、一緒に進んでいると感じることは、何りも心強いものだからです。
つまり、共に成長を目指す関係を人生の中で築いていけることで、勇気って育まれていくものだと感じました。
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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー
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