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自分の価値とは?意味とは?良い人生とは?

時々…考えに老け込んでしまう

寝る前に、色々と考えてしまい眠れなくなってしまうことが、僕には多々あります。「今の僕は、価値のある人間だと言えるのだろうか。」「今の僕は、ちゃんと生きる意味を持てているのだろうか。」「そもそも、僕はちゃんと正しく生きているのだろうか。」「そう思えないのは、何が原因となっているのかどうか。」そんな風に自問自答していると、どんどん深みにはまっていくような感覚になります。

自分と向き合うことで、確かに見えていなかったものが見えてくるものではあります。自分の気持ちというものは、問いかけてみないと教えてくれないことが多いものですから。

ただ、そうした自分への問いというものは、心を闇でどんどん覆いつくしてしまう場合だってあり得るものです。

かつての僕は、自分のことがどうしても嫌いでした。意気地なしで、人のことをうらやんでは妬んでばかりいました。それに、頑固で意地っ張りでもあったのです。そんな自分の嫌な部分がどうしても気になってしまっていたのでした。

だから、一日の終わりに振り返ったときに、今日は価値があったのかどうか。今日の自分は正しかったのかどうか。昼間の行動は、間違いではなかったのか。どうしても気になってしまうのでした。

まして、自分に自信がないものだから、いろいろと周りの評価も気になってしまうのでした。自分が嫌いであっても、人には嫌われたくなかったからです。だから、人が言っていた言葉やしぐさが気になってしまうのです。

ただ、どれだけ頑張ってみたからといっても、人の気持ちを測ることはできません。だから、疑い深くなっては、気持ちを悶々とさせてしまうのです。いつの間にか、色んな不安を大きくさせてしまうのです。

禅の言葉「両忘」

こうした答えのない自問自答は極力減らしたいものです。心の闇落ちは、かなりしんどいものであるし、時として、自分の生死も天秤にかけてしまう恐れがあるからです。

かつての僕は、こうしたことを繰り返し過ぎて、自分が分からなくなってしまったんです。そうして、闇落ちしてしまい精神を壊してしまいました。もう、二度と味わいたくないくらい辛いものでした。

禅の言葉で「両忘」という言葉があります。それは、二つのことを忘れることだそうです。有る無い、善い悪い、正しい間違い、面白い面白くないと言ったように、普段の生活の中で、僕らは、あらゆる選択肢を二極化してしまっているものです。常に対立したふたつの選択肢から選んでいます。

そうした思考の癖によって、自分自身の価値まで二極化した中で、「有る?無い?」と、判断しようとしてしまうのです。自分の生きる意味も「有る?無い?」「良い人生?後悔な人生?」と、いったように、全ての問いかけに、極端な答えしかない選択肢を設けてしまうのです。

禅はそうした対立や両方へのこだわりを手放すことを忘れるが大切だと仰ってありました。ただ、その為には、我を忘れること。自分の欲やこだわりを手放すことだということです。

そんなことが可能なのかというと、不可能だと断言してもいいくらい、難しいものでしょう。

ただ、時代の追い風もあって、多様性という考え方が随分と受け入れられてきています。そうした中で、色んな自分をも受け入れていくことは可能になっているのではないでしょうか。

こんな自分もいれば、あんな自分もいる。それでいいんだと思えるように、自分をどんどん認めてあげることです。

例えば、時間に厳しい自分もいるけれど、時にはおっちょこちょいをしてまう自分がいる。そんな自分だから愛おしく感じる。そんな風に思えたらいいのです。

完璧でなくていいんです。いつも正しくなくていいんです。どんなときも、間違ってはいけないことはないんです。

そうやって、自分を許しながら生きようとすると、ぐっと自問自答する必要はなくなります。だから、思いっきり生きやすくなるものだと感じています。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日と言う一日が皆さまにとって最高の一日となりますように。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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