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発達障害を理解するための「疑似体験」ツール。映画やドラマから学ぶ発達の特性。

発達障害に限らないけれど、コミュニケーションの大きな問題とは、それぞれが立っている場所が異なっており、それぞれが自分の目線でしか、相手を見ることができないことにあるのだ。いわば見ている世界、理解できる世界が違うのだ。

相手の目線に立つことができれば、コミュニケーションの問題は大きく前進することになるだろう。発達障害もしかりである。

発達障害を理解するために

精神科医の備瀬氏は、小学生が視覚障害を理解するために、視覚障害疑似体験眼鏡をかけて歩き回った授業について書いている。小学生たちは「全然見えない」「光は感じる」「うっすらと物があることがわかる」と反応する。目の見えない人の気持ちが、体験して初めてわかるのだ。

これと同じように、備瀬氏は、発達障害も体験してみることができないだろうかと問いかける。そして、そのためには、発達障害の人の自伝を読んでみることを勧めている。そうした自伝が「疑似体験ツール」になるのだ。

疑似体験ツールとしての自伝

確かに、近年、発達障害の方のコミックエッセイや、自伝が注目されることが多い。Amazonkindleには、質の高い自費出版が多い。

しかし、だいたい、この手の本を見ているのは、同じ障害を持つ人だ。

#ADHDあるある #ASDあるある #HSPあるある  というハッシュタグもあるように、自分と同じような状況の人を見て「あるある!」というのがひとつの楽しみとなっている。周囲の人たちが、発達障害を理解する糧になっているかどうかは、かなり疑問がある。

映画やドラマから学ぶ発達の特性

これは私の持論だが、映画やドラマを普通に見ることで、発達障害(発達の特性)に対する目が開かれるのではないかと思う。特に発達障害と銘打っていないドラマの中でも、その特性を持つ人が主人公であるものが多い。

現在、放映中のNHK朝ドラ「エール」の主人公、古山裕一は、こだわりが強く作曲以外のことは何もできない。集中すると徹夜して仕上げるけれど、予想外のことが起こるとパニックになりやすい。完全にASD(自閉症スペクトラム)ではないか。

過去に放送された、NHK朝ドラ「半分、青い。」では、主人公の楡野鈴愛(永野芽郁)は、片耳が聞こえない障害を持つだけではなく、その特性はADHDに酷似している。行動力も発想力も規格外なのだ。

この観点で見ていくと、どの映画も、どのドラマも、主人公やヒロインは、何らかの障害?(発達の特性)を持った人であることが明らかだ。そもそも「普通」の人の普通の生活を描いて面白いドラマは作れない。だから、主人公は、常に何らかの凸凹があるのが普通だ。

そして、どんな人も、たとえ「普通」に見えていても、いったん掘り下げ続けると、独特で面白みのある個性が見えてくるのだ。それが人間ドラマだ。だから「発達障害」というラベルに依存せず、とにかくドラマなどを楽しんでみるとよいのではないか。それぞれの登場人物に感情移入しながら見る。

一緒に感情を動かしていけば、様々な観点から物事を理解し、見る目が養われていくだろう。発達障害を学ぶのに、特別な教材は必要ない。その意味では「ASD」や「ADHD」という「ラベル」にとらわれずに、感情を揺り動かす経験をすることが、他者理解の方法ではないかと考えている。


大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq