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発達障害の視点から見る世界【書評】ADHD・ADDの波乱万丈生活 白茶トラ

ADHDが発見されるまで、自覚されるまでの半生というのは、苦しいものだ。日常生活のほとんどすべての場面で、ADHDは「何かが違う」「他の人とはどこかが違う」という気持ちをずっと持ち続けるからだ。それが原因で、二次障害のうつ病を患うことも多い。

白茶トラさんの場合は、旦那さんに「お前は普通じゃない。変だから病院へ行けば。」と言われて、うつ病の背後にあるADHDを診断されたのだ。ADHDが診断された時にホッとしたこと。そして「1人じゃないんだ」と感じたこと。多くのADHDが感じる気持ちと同様だろう。

ADHD当事者としては、白茶トラさんの独白を聞いていると、自分の半生と重なる点もあり、辛く感じるけれど、ADHDの当事者の視点から世界がどう見えているのかを理解する助けになるだろう。「普通」の人にはADHDが見えている世界は見えないのだから(ADHDにも普通の人の世界は見えませんけど)

ADHDの原因

白茶トラさんは、未熟児だったために生まれてすぐに保育器に入れられた。大人になってから受けたADHDの診断では、このことが原因の一つとして言われたそうだ。そこで、ふと思い出したこと。実は私も同じように早産で、未熟児で、保育器に入れられたのだ。体中に黄疸が出ていて、数日で亡くなるか、もしくは知的障害が残ると言われたのだ。

何とか、生き延びることができ、見た目には障害が残らなかったが、今考えると、それはADHDのきっかけになったのかもしれない。早産・低出生体重児と発達障害の関連は研究されている分野なのだ。

ADHDで怖いのは二次障害

白茶トラさんは、学校時代にいじめられ、旦那さんからのモラハラで苦しみ、ママ友トラブルではぶかれ、人間関係の問題を絶えず抱えてきた。そのたびに「自分が悪い」「私は生きていてはいけない」と自分を責め続けた。学生時代は原因不明の発熱で、何度も学校を休み、結婚してからのモラハラでは、精神科に行きうつ病と診断される。

私はADHDの特性そのものは、実に愉快なものだと考えている。後先考えずに突っ走る衝動性や、ひらめきは、周りを明るくする力となる。皆と同じようにすることが、何より大事な日本ではその可能性の芽が摘み取られやすいけれども、多くの起業家や発明家、芸術家はADHDであることを公言(もしくは、その特性を隠していない)している。

ADHDにおいて問題になるのは、本人が周りとの違和感を感じ、自分の特性を何とか隠そうとすることだろう。そこに羞恥心が生まれる。自分は、やがて失敗してしまう。いつかはバレてしまう。何もできない人間だというのが知られてしまうという恐怖と絶えず闘うことになるからだ。我慢には限界があり、どこかで耐えきれなくなり、心の病を発症する。私の場合は、少雨学校に上がると同時に始まったIBS(過敏性腸症候群)だ。

早い段階で、周囲が彼・彼女の特性に気づき「〇〇ちゃんは、これは苦手なので頼ってもいいよ。できないことは誰でもあるからね。でも、これはできるから、できることは一生懸命やろうね」と声をかけてくれると、どれほど人生は異なるだろうか。そういう意味で、ADHDには理解者が必要だし、そのために診断を受ける必要性も分かる。ADHDは二次障害を発症しなければ、うまくやっていけるのだ。

ADHDと対人関係は別問題

ただ、この本を読んでいて、少し気になったのは白茶トラさんが、何度も同じパターンで対人関係に苦しんでいることだ。自覚はなく、他の人の悪口を言ったと言われてはぶかれてしまう・いじめられてしまうという経験をするのだ。学生時代も、ママ友からも。そして、旦那さんも結婚後に豹変し、モラハラを繰り返すのだという。

白茶トラさんには、他の人をいらだたせた自覚はない。気になるのは、この自覚がないというところだ。

この部分を読んで、失礼を承知で言えば、著者にはADHDとASD(アスペルガー)の特性が含まれているのではないかと思った。ADHD単体では、対人関係に著しい障害が出ることは少ないように思うからだ。年代や場所を変えても、何度も同じことが繰り返される場合は、ある面で、自分の人間関係の作り方や対人スキルにその遠因があることが少なくないからだ。(こういう表現で、著者を傷つけていたら申し訳ない。)

なぜ、そのことを言うかというと、自覚しなければ自らの癖を修正することはできないからだ。ADHDとASDが混ざり合っている発達の特性を持つ人は多い。このことが問題なのは、ADHDの対処法と、ASDの対処法が異なるからだ(それぞれ、専門家が別だから。しかし、実際には患者はどちらの傾向を持つ人が多い)

日常生活を困難にさせる多くの点はADHDによるもので、対人関係で誤解を招いたり、軋轢を生じさせたりする傾向はASDによるものだとすれば、白茶トラさんの苦しみも理解できる。そうであれば、ASDのソーシャルスキルを学ぶことが、人間関係のトラブルを招かない一つの方法だ。

旦那さんはモラハラ夫だったとのことだが、今では良き相方になっているとのこと。そうであれば、「普通」の旦那さんの助けを得て、対人関係、人付き合いでの技術を学んでいくことは可能だ。自分の言動が他の人から見てどう見えるのか。そういう意図ではないけれども、誤解を与えるような表情・動作をしていないか。そんなことも話し合えるとよいのではないか。

これは「人間関係のトラブルはあなたのせいだ」と言っているように聞こえるかもしれないので、なんだかさらに傷つけそうで、言いづらかった。でも、ADHDだけに焦点を当てていると、この苦しみからは解かれないかもと思って余計なことをつぶやいているのだ。

自分の取扱説明書を持つ

自閉症スぺトラムの「スペクトラム」というのは、正常な人と障害の境目のような連続した部分のことを言う。過去に読んだ本では、山はどこから山なのかという比喩で説明されていた。

てっぺんはわかりやすいけれど、ふもとまで降りてみると、いざ、どこからが山なのか迷うかもしれない。正常人と発達障害の違いも、これと変わらなくて、多かれ少なかれ、人はADHD傾向も、ASD傾向も持っている。ADHDと診断される人でも、ASD傾向を強く持っている人もいる。その逆もある。

あまりにも、人によって異なるため、一つの診断ですべてを判断することなど到底できないのだ。ADHD本をいくら読んでもそう。ASD本をいくら読んでもそうなのだ。大事なのは、一人一人が、自分自身の傾向を良い点も悪い点も、好きな点も嫌いな点も、しっかり知り尽くし、自分のための取扱説明書を作ることではないだろうか。

もちろん私も、悟りきっているわけではなく、未だに発達障害の傾向に四苦八苦させられることのほうが多い。しかし、少しずつでも自分の傾向を知り、日々改善させることができている。たとえ、ADHDだとしても、ASDだとしても、年齢を重ねるごとに、生きやすくなっていく(していく)ことは可能だと思っている。

同じADHD傾向を持つものとして、同志である白茶トラさんの幸せを願ってやまない。


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大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq