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いわゆる『能力・スキル』の正体

この記事は三人の登場人物の対話形式で進めていきます。
りお:若手人事担当
持続的に繁栄できる強い組織にするべく、あらゆることを探求し、人事活動に活かしていきたい若手人事。少し捻くれている。
としぞう:精神科医
個人の行動変容や組織全体の行動に詳しい精神科医
わたるん:仙人
複雑な事象を整理し正確に言語化してくれる。たまにしか出てこない。

りお>
能力が高い、優秀だ、スキルが充実しているというのは結局どういうことなのでしょうか?心理的安全性について散々議論していましたが、結局いい企業には優秀な人が集まり、どんどん成果をあげていくという構造に変わりはない気がしています。例えば心理的安全性を世に広めたGoogleに入る人は本当に優秀なのだろうと想像してならないのです。
能力とは何か、スキルとは何か、優秀さとは何でしょうか。

としぞう>
能力とは何か、スキルとは何か、優秀さとは何か。これも何が「正しい定義なのか?」を考え始めると、「どっちが正しいか合戦」になってしまいます。人によって違うと思いますが、あえていうのであれば会社組織にとっては「生産性」を高められるかどうか?かもしれません。生産性となった時に、もう一つ話を難しくするのは、成功者バイアスで、Googleに入る人は自分が優秀であるからGoogleに入ることができた、と思っている。だからこそ、あなたはなぜGoogleにいるのですか?と聞くと「優秀だから」を答えがちで、その答えを聞いていくと、「やっぱりGoogleには優秀な人が多いんだな」という結論になりがち、という部分でしょうか?

仙人>
能力やスキルは、結局安定化してから計測されるんですよね。なので、常に優秀さとは官僚的なものですね。
市場で最初に成功する時は結局打席に立ち続ける柔軟性、行動力、そして運ですよね。この辺りは所謂優秀さでは測れません。一定安定した"生産"対象が決まってくると優秀さやスキルの定義が可能になる。こうして言葉にすると当たり前ですが、生産対象が明確でないと何が優秀なのか、必要なのか分からない。
勿論、その対象によってのスキルは評価できるでしょうが、そうした人が集まろうがそうでなかろうが心理的安全性がないと、組織としての生産性が上がらなくなるという話ですね。
能力、スキル、優秀さというのは決まった方向性があっての尺度に過ぎないのであり、また、それは生産対象から決まってきますが、それでだけではその生産性を決定できないという話ですが、当たり前ですよね。学術に対してこれこれの必要条件があると見込んで試験を作ったからと言って、一定の計測後それが学術そのものを全て決定する訳ではない。人間はその対象を完全に捉えていないのだから当たり前である、と。また、そのような計測における大天才ばかりが学術的実績を上げる訳ではない。
例えば、営業など職種によって、学術成績の良い人を集めても成果は上がらない。或いは営業が得意な人を集めて心理的安全性を上げても学術成果を得る訳ではないのは当たり前です。
要は捉える粒度の問題であり、心理的安全とはどこに適用されているのか?という話ですね。

りお>
前回の採用基準の記事で、採用要件とはカルチャーフィットであるとされました。
このカルチャーが合うか、一緒にやっていくことが出来るかという問いの中に、IQ、注意資源、知覚基盤、育ってきた環境などが含まれているというイメージでしょうか?

としぞう>
そうです。その全てが含まれてきます。ただ、それをどうやって測定するか?が問題です。全てをデータ化したり、文章や情報だけで判断するのではなく、対話の中で感じられる感覚を通じて決める必要がある。もちろん、そのような情報を活かすことは大事ですが、決め手の一つではなく、感覚を通じて決めるときに視野狭窄にならず幅広く情報を集めるため、に使うことが必要です。

仙人>
現時点でそう、とは言い切れないですね。今知られている計測可能な能力がカルチャー作りとは関係ない共通性の部分があるだろう、という事もあります。特にコミュニティを作るという意味では優秀な外れ値を沢山入れるとケアし切らないのではないか?という仮説も成り立ちます。
履歴はある種の優秀さを表していますが、履歴を揃えるのに通常履歴から予測される能力だけがものをいうわけではありません。フリーライドも立派な集団内地位を得る才能ですしね。
カルチャーが集団のどの層によるものなのか、コミュニティの継続性がCDPsで測られたように、その辺りは検討すべき事が色々あるでしょう。

giftedがコミュニケーション取れないことがあったり、逆にそうは言っても全体に目配り出来る人とそうでない人で会話がスムーズであることと安全感は違ったり。色々ありますね。

こういうのも、一つの回答です。偏りすぎて対立緊張も多様性もない組織からは恐らく何も生まれない。人間の知はそもそも外在化された記憶や道具としての体系をいかに協働して使うか?なので、平均の中のゆらぎみたいになるんでしょうね。

世界中の優秀なエンジニアが集まるマイクロソフトのウイルス対策ソフト(Windows Defender)より優秀で品質のよいウイルス対策ソフトが他社で作れるものなのでしょうか?


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