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コンセプトが定まれば、そこからは早い

何かを生み出したい人へ。

見えないところで苦しむのは当たり前。

そう思えば、生み出すことが楽になるかも。


メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。

今回は、生み出すこととコンセプトについて書いていきます。

(もちろん、noteで記事を書くことも生み出すことです!)


20世紀の哲学者ドゥルーズが晩年に、

「哲学は概念を創造すること」

と言ったことがずっと印象に残っている。

その真意については、私はまだ現在測りかねているのだけれど……

それでも、概念(コンセプト)が生まれることが何か格別のものだということは、感覚としてわかる。


コンセプトが定まれば、そこからは早い。

そこまでもやもやとしていたものが、コンセプトとして形になった瞬間、

「よし、これでこのコンセプトを旗印にして、進むことができる」

といった気持ちになる。

明らかにそれまでとは違う「場」のようなものが、コンセプトの先に見えてそこを進めるという感覚になる。


noteで記事を書くことがまさにそれだ。

どういう記事を書こうかとずっと悩み、何かを書こうにもしっくりこない。

そうしているうちに、

「こういうことを書けばいいんだ」

とふと浮かぶ瞬間が来る。

そうすると、今までのことが嘘のように、文章がスラスラと書ける。

たった一つのコンセプトが、文章の内容という「場」を生み出したのだ。

(書くのは何でもいいと開き直ったら、以下のようなやり方で「何でも」文章にはできる↓)

(つまり、「何でもいい」以上にある程度のものが書きたいと思うと、悩むということでもある。)


自主ライブをする時がまさにこれで、何かを作り始めるまでに、このコンセプトを定める部分が多くある。

悩みに悩み、それこそ細かなアイデアはいくつも浮かぶのに、全体の「場」となるコンセプトが出ない。

それでも諦めずに、コンセプトが生まれるまで耐えなければならない。

コンセプトが定まれば、そこからは早いのだから。


アイデアだって必要なものを得るには苦心する。

そういえば、あんなにアイデアまみれの短編を生み出した星新一も、アイデアを生み出すのに悩んでいたようだ。

(本が手元にないので、「星新一 アイデア」で検索してほしい。)

1000を越える作品を生み出した星新一でさえ、こうなのだから、アイデアもコンセプトも生み出すには苦労すると最初から自覚しておくといいと思う。

「自分には才能がない」という思い込みでやめることだけはもったいない。

軽々と何かを生み出せるように見える人でも、苦労をしている。


前回記事で、人はわかった範囲が全てだと思い込む習性があると書いた。

その意味では、コンセプトを生み出すことは、そんな現時点の自分の理解という全てを打ち破ることかもしれない。

そんな、自分の何かを破るような、大きなことを成し遂げるのだから、苦しみはやはり当たり前なのだ。

そんな当たり前の苦しみに見合った偉業を、きっと、生み出す人は成し遂げている。


そこから開かれる「場」、そこから開かれる「世界」。

それはきっと、自分一人を越えて、みんなに共有されるものになりうる。

新たなコンセプトが、みんなにも通じる新たな「世界」を生んでいく。



冒頭で述べたドゥルーズによる概念の創造と、コンセプトをひねり出すこととは、かなり意味していることに隔たりがあると思います。

(少なくとも、自分がやっていることは、哲学が新たに開かれるような新たなコンセプトの提示には至っていないでしょうし。)

それでも、今回書いた自身の経験の延長線上に、ドゥルーズが述べていることがあるとも思っていて。

その間がいずれ埋まるような理解に至ればという気持ちで、今回の記事を書いたということもあります。

……と、非常に曖昧になりましたが、この記事が皆様にとって多少なりとも刺激になれば幸いです。



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