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「この本が読めるようになりたい」という憧れ

読書を習慣としている方の中に、こういう方もいるんじゃないでしょうか?

私の場合、こんな感じです。


メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。

自分の人生の憧れの中には次のようなものがありました。

それは、

「この本が読めるようになりたい」

という憧れです。

しかも、そんな憧れが様々な本に対してありました。

今回は、そんな本への憧れの話をしていきます。


『ハザール事典』という変わり種の小説がある。

ミラロド・パヴィチによる小説だが、タイトルに「事典」とあるように、この本は本当に事典の体裁で、人名や地名等の項目別で書かれている。

それでも、小説なのだ。

この本の冒頭で読み方が示されており、事典を読むような感じで、かなり自由に読んでよいことになっている。

それでも、この本は全体として一つの物語を持っている。

私は、学生時代にこの本をたまたま知り、図書館で借りたのだが、その時はほとんど読むことなく返却してしまった。

その後、手に入らない時期が続いていたが、年月が経ち、ある時に文庫化された。(上のリンクがその文庫化されたもの。)

そしてそれを入手し、昨年、私はこの本をようやく読み通すことができた。

この本を読み通すと、長年思い抱いていた、

「飛び飛びで読んだら不完全燃焼なのでは?

という思いは裏切られ、ちゃんと結末を持つ物語として読めたことが驚きだった。


別の本を読み通すことへの憧れもあった。

これは『ハザール事典』を知った時期よりも遡るのだが、私は日本のミステリをよく読んでいた時期があった。

その時、「四大奇書」なるものがあると聞いた。

これは、普通のミステリの体裁を越えた、あるいは、逸脱した「ミステリ」で、

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』
夢野久作『ドグラ・マグラ』
中井英夫『虚無への供物』
竹本健治『匣の中の失楽』

の4冊のことをいう。(元々は、この並びの上から3冊を「三大奇書」と呼んでいた。)

四大奇書を知った時に、私はそれら全てに興味を持ったのだが、その中でも、

『黒死館殺人事件』はあまりにも難解で有名だ

と聞くと、「特にこれはいずれ読めるようになりたい」と憧れるようになった。

この『黒死館殺人事件』は、高校時代に国語辞典を引きながら読み通した思い出がある。 

初読時は確かに苦労はしたが、難しいという世の評よりも自分との相性がよかったため、この本は私の愛読書の一つにもなっている。


以下の記事で最近紹介した『哲学者の密室』も、憧れの本だった。(『黒死館殺人事件』も紹介しています。)

これも、ミステリを読んでいる時期に知ったのだが……

事前に、この小説がシリーズの4作目で、そのシリーズ自体が哲学的な議論を含むため、どれも読むのに少々手こずると聞いていた。

そして、その中でも『哲学者の密室』は、とても分厚く内容も重厚であるとも聞いており、敬遠していた。

この本を初めて読み通したのは5年前。

チャレンジするまでにかなりの年月がかかった。

結果は、私が哲学を修めた後に取り組んだことが功を奏して、満足いく読書体験となった。(それでも多少苦労はした……。)


(次々と本を挙げているが、続けていきます 笑)

他の憧れとして……埴谷雄高による『死霊』も大きな一冊だった。

これは哲学的な小説として有名なもので、この本こそ今回挙げた中で一番難解なものだと思う。

この本に関しては、読み通しはできたものの、まだ一通りの理解にさえ追いついていないという感覚だ。


また、私が、人生の多くの時間を捧げることになったウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』も、もともとは読めるようになりたい憧れだった。

(この本は以下の記事で紹介しています。)


このように、色々と挙げてきた結果、基本的に重厚な作品を読み通すことが自分の憧れになっているのだと自覚できた。

現在は大きな憧れはあまりないが、選ぶとしたら『カラマーゾフの兄弟』『戦争と平和』がある。

前者は途中で挫折した経緯があり、後者はあまりに長くて敬遠している。


あっ、あと、三島由紀夫の『豊饒の海』も読み通したい!


……と、書いている内に本当に尽きることがなくなったので、今回はこの辺にしておきます(笑)

皆さんも、この本が読めたらなぁという憧れの本はありますか?

よかったら是非、教えてください。


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