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私の本棚は、青い鳥で財産だった

読書から広がる世界の話。

いや、この場合、立ち戻る世界といった方がいいですね。

大事なものを見失わないためのヒントになればと思います。


メンタリスト 彩 -sai-(@psychicsorcerer)です。

最近ふと感じたことを書いてみます。

どちらかといえば現在進行形の感覚ですが、共感いただける方がいたら幸いです。


私は好奇心に任せて、新しく本を買うタイプだ。

世に誇るほどの蔵書量とは言えないが、それでも自然と本が増殖していく側の人間だと言える。

増えていく本の様は、私の好奇心そのものだとも思えてくる。


好奇心は、常に、

今よりも先に、今よりももっと先に

と自らをせきたてる。

だから、好奇心というのは、「今」や「手元」を取り逃がす傾向だといってもいい。

今への安住に対して、好奇心はチクリ、チクリと「それじゃいけないぞ」と刺激をしてくる。

そして、それは「今」ではなく「いつか」の方に、安住があるのだ、と語りかけてくる。


特に最近の私は、さらに新たな自分に向かうために、意識的にも「今よりも先に」と動いていた部分がある。

上で述べた好奇心で満たされて、ハイになっていたところもある。

それは少々、脳内麻薬にジンジンと痺れて、周りが見えなくなっていく感じにも似ている。


そんな目の前を見失いかけている中、ふと、本棚を見ていて、

ここに私の財産がある

そう気付かされた。

好奇心が新たなところに私を運ばなくても、もう既にあるものの中に宝はあった。


童話の『青い鳥』のようで、ベタだけれども、

大事なものは、既に手にした中にも十分なほどある

そんな感覚だった。

手にしたものをどう慈しみ育むか。

それこそが大事なのではないか。

この手にしたものこそ、本当の意味での自分のこの先を切り開くヒントではないかとさえ感じる。

ここまで生きてきた中で感じることは、自分にとって本当に大事なものが、自分の人生の実質(彩りや意味)を与えるのだということ。

そのためには、何かを手にした満足感で終わることなく、それを自分の血肉にしなくてはならない。

きっと、青い鳥を見出したところからが、本当の始まりなのだ。


残念ながら、好奇心は今後も続くし、私を刺激して目の前を見失わせることだろう。

今は、インターネット、SNS等、本当に好奇心を自動的に刺激するものに溢れている。

きっとこれは、個人の意志で何とかなる部分を越えてもいるので、最新の注意を払わなくてはならない。

新規なものへの刺激を感じ、時に翻弄されながらでも、既にある大切なものを慈しむ感覚を忘れないようにしたい。


今回、私の場合は、本棚を見て気付いたわけだが……

「既にある大切なもの」が何かは、人によって違うだろう。

(きっと、私についても、本以外に同じものがあると思う。)

一般にあらゆるものでそれが言える、とさえ考えを広げたくなるが、今はそれは控えておこう。

このことは、一般に語って、一般論として納得し合うだけでは、実感を伝えたことにならないから。

私も、皆さんも、この実感を重ねて省みていくしかない。

その意味で、

「(自らの人生の中で各々大事なものに気付くために)お互い、頑張りましょう」

と声をかけ合うことしかできないのだと思う。


お互い、頑張りましょう。


※今回と同テーマで、人に関して書いた記事が下のものになります。興味がある方は是非ご覧ください。


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