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世界観未満の中にある世界観

私に、世界観があるか否か。

今のところ、自覚してパッケージ化しきったという思いで、提供しているつもりは(さほど)ない。


と、まあ、内省を始めたのでここで文章を書いているのだが……。

(今回のものも、結局雑文です。)

今回の「世界観」というのは、俗に、作品なんかを見た人が言う「あの人は世界観がすごい」とかいうぐらいのふわっとした意味だ。

まあ、明らかにストーリーのようなものについて言う世界観ならば、「この物語はどういう世界が設定されているか」ということだが。

基本的に、ストーリーを強く提供しないパフォーマンスでは、その辺りが漠となる。

私の表現も、何か特定の、強い意味でのストーリーを提供するものではない。

なので、今、自分について考えている世界観というのは、

「表現者とその表現が持つ、他とは違う雰囲気やその明確な可能性」

という感じなのだろうか。


雰囲気は提供している自覚がある。

なので、上の意味でいう「世界観」未満の何かは提供しているだろう。

しかし、「明確な」を加えると、世界観、というところまでは到達していない気がする。


とはいえ、人は生きてきた中で、世の中と人生とはこんなものだという予断を得てしまうだろう。

それが、特に表現者ならば、意識せずともそれが結果的に醸し出されることになる。

人が、もし、私を、私の表現を、「何か他と違った世界観がある」と評しているなら、そこによるものだと思う。


そこにヒントがある。

何か自分とは無縁の何かを世界観の素材にして、表現として作り上げる気は自分にはない。

既に自分が世の中にコミットしていることがあり、それを練り上げることが、(より明確なものとしての)世界観の構築になる。

世の中にコミットすること自体が、世の中への捉え方の投げかけであり、世界観のヒントなのだろう。


表面にあらわれる目を引くものは早く刺激を与えるが、早く消えやすい。

それに対して、今回述べた世界観のようなものは、遅く効いてきて長く残るものだと思う。

そんな、世界観のことを最近は考えている。


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