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こどもまちづくりプロジェクト

転勤族育ち、核家族育ちでお盆と言えば家族旅行という子ども時代を過ごした私はどこが地元かと言われると返答に困るくらい、地域とか土地に執着がありません。
東日本大震災で自宅が全流出して、自分の家のあった土地は人が住めない土地になりました。
地元は夫婦ともに関東なので、私たちは手続きをすることに何のためらいもなかったのですが、そうでない人もたくさんいて、復興に時間がかかるということの当事者になりました。

「危ないんだから、危なくない土地に行こう」という人がいる一方で、それを受け入れられずに、もともと住んでいた海の近くに戻りたいという人もたくさんいました。
そして、そういう人達の気持ちもわかる気がしました。
そこに住んで、そこで子どもを育てて、そこの人たちと暮らしていた。
ここに生きていた人たちの思い出がある、この場所から離れるなんて考えられない、もう一回津波が来るとしてもそれでもここで生きていきたい。
だって自分しかもういないんだから、好きにさせて欲しい。
「もう、好きにさせてあげてよ」と無責任に思っていました。
叶わなかったけど、きっとみんな、心情的にはそう思っていたと思います。

隣組っていう社会の教科書の中でしかみたことないような仕組みがまだ残っている地域でした。
そういう地域だったから、避難所生活もみんながそれぞれに自分にできることを探して、みんなで頑張れた。
関東に戻って来て、新たに家を建てて、そこで避難所についての話をしているのを聞いたとき「ここじゃ無理だな」と思ったのを時々思い出します。
地域って人です。
家があるから、お店があるから町なんじゃなくて、そこに人が住んでるから町なんです。

「まちには人がすんでいます」をコンセプトにした地域の活動を担当しています。
避難所での子どもの泣き声も「いつも感じよく挨拶してくれるあのお家のあの子」の泣き声なら許せる。
水が何リットルとか、毛布が何枚とか、そういう物品とかインフラのことについてはこの日本という国は本当に素晴らしいです。
国に、地方自治体にある程度お任せしても大丈夫。
本当に地域の中で準備しておかないといけないのは、その時になってからでは間に合わないのは、人と人の関係です。
そしてそれができていなかったら、本当に居心地が悪くなるし、どうしようもない。
どんな仕組みもシステムも、届いた支援物資も、いざという時それを使うのも動かすのも人だから。

子どもに興味がなかった私は、当然地域なんていうものにはもっと興味がなくて、地元っていう感覚もわからないけど、でも「知り合い」がたくさんいた方がいいことを経験として知っています。
自分が住んでいるこの住宅地には私より年上な方もいっぱいいるけど、私より長く避難所生活をした人は多分いません。

面倒だし、大変だし、なんで私がって思うことがないわけじゃないけど、生き残って、いろんな方から義援金とか支援とか頂いた私にできる小さな恩返しです。
そして、なんだかんだとおかげさまで知り合いも増えて、私が知らない私の子どもにまつわる日々のあれこれが地域の方から私の耳に入ってきます。
ありがたくて、安心なことです。

こどもまちづくりプロジェクトも7年目くらいになります。
そのきっかけになったのもプレーパークの活動でした。
プレーパークのやり方を地域に持ち込むこともメリットの大きいことです。
0才から大人まで「遊び」を真ん中に置いたら自然とつながれる。
そういうつながりの積み重ねが、結果として私たちが住むまちを「安心で安全な住みやすいまち」にしていくんだと実感しています。


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