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夫が単身赴任していました(1)理由

 おはようございます。

 今回から、夫が神奈川から九州に単身赴任をしていた時の話をシリーズで書いていこうと思います。

 単身赴任が始まった当初は、長男は4歳半、次男は2歳8か月くらいでした。

 色々なことが重なり「単身赴任になった」ので、その辺りから書いていこうと思います。

 単身赴任が決まる

 長男の幼稚園が始まり、人見知りはしないけれど、毎回積極的に話しかけるのは苦手な私には苦労の連続でした(受け入れてもらう自信が足りない)。

 そんな私も、長男や連れ歩いている次男と共に、少しずつ幼稚園の生活に慣れていきました。

 長男の年少さんが終わる頃、夫の秋からの転勤が決まったのです。

 青天の霹靂でした。

 引っ越しがないはずの部署(異動も少ない)のはずが、部署ごと本社がある九州に移動となりました( ;∀;)

 家族での花見

 どうしていこうか話し合いをする合間に、母と妹家族とお花見をすることになりました。

 そこで、母が乳がんであることが判ったと聞きました。

 これもまた、青天の霹靂でした。

 この時のお花見あまり覚えてないですね。

 子ども達がどうしていたかとか、どんな会話をしていたかとか結構覚えていることが多いのですが、全く記憶にないです(^^;)

 夫婦それぞれの主張

 我が家は次男が誕生とほぼ同時期に一軒家を建てていました。

 マイホームを建てた理由はすでに【イヤイヤ期①】はじまりの葛藤で書いているのでわかる部分を一部抜粋します。

当時、賃貸マンションに住んでいたのですが、長男が0才のときまだ寝た状態でも足踏みをする子でした。
たぶんNICUに入っていた時にケースを蹴りまくっていたからでしょうか。結構ダンダンやってはいたので仕方ないのですが。
下の階の方から度々クレームが入りました。
子育てサークルで知り合ったママ友たちもマイホームを手に入れ始めていたので、我が家もマイホームの検討をしました。
でも住んでいるエリアは当時20代だった私たち夫婦には少し予算より高く、自分たちそれぞれが求める条件に合う物件もありませんでした。
夫の仕事は転勤もありましたが、夫の部署はあまり異動も少なく、転勤もなかったので、マイホームを住んでいた場所から少し離れたエリアに購入しました(結論からいうと考えが甘かった)。

 夫が赴任先に行く前に、

 「家をどうするか」

 「母」のことをどうするか。

 引っ越すなら幼稚園をどうするか。

 いくつも答えを出さなくてはいけません。

 私の中の記憶

 私は自分が年中の時に引っ越しを経験しています。

 それまで暮らしていた団地から新しいお家に住むことにウキウキしたのですが、大好きな友達や先生と別れることになりお別れの日に泣きました。

 今思うとですが、私にとって団地や幼稚園は大切な「居場所」でした。

 両親の仲が悪かったので、そこから解放される場所でした(幼稚園の先生に親のことを相談していた記録が幼稚園手帳に残っていました)。

 そして、引っ越した先の幼稚園はあまり馴染めず、小学校も「居場所」を見つけられずに、ずっと苦労をしました。

 そんな思いを長男にさせたくないという気持ちが一番強かったです。

 そして、またゼロからの園探しと、新たな交流を築くことを考えると「引っ越す」ことに前向きになれませんでした。

 夫の気持ち

 夫自身は高校卒業後、家を出たきり県外で生活をしてきました(大学も仕事も県外でした)。

 夫の中では「お正月とお盆は実家に帰る」と、決めていました。

 でも、「九州に行ったとしたら神奈川に帰るタイミングはどうなるの?」というところで意見が夫婦で衝突し、結局私たちは「単身赴任」という選択をすることにしました。

 私たち夫婦としての結論は、お互いの親をそれぞれ大事にしたい気持ちがあり、「単身赴任をする」ことに決めたのです。

 母の居場所を母に決めてもらう。

 母はその頃、自分自身の実家で暮らしていました。

 祖母はいい人ですが、昔の人間です。

 息子である叔父達が何をしていても特に何か言いません(少し言った方がいい)が、母には色々「こうするべき」を一貫して求めていたので、母には窮屈な状態でした。

 祖母と母がそういう感じだったので、病気が判った時点で、私と妹それぞれが母に「一緒に暮らそう」と提案しました。

 母はしばらく考えて、病院を変えなくて済む、妹の家を選びました。

 この時、私たち子どもの意見で決めたのではなく、「母に決めてもらって良かったよね。」と母が亡くなった後、妹家族と話をしています。

 母は亡くなるまでの5年間、妹家族と暮らしました。

 乳がんの再発もありましたが、死因は別の病気によるものです(2019年より以前の話です)。

 子ども達の反応

 この当時、まだ次男には言ってもわからないであろう年齢(2歳)でしたが子ども達二人に「これからの生活」について説明をしました。

 しごとでお父さんが遠くに行くこと

 時々帰っては来るけど、毎日はお家にいないこと

 お父さんと一緒に行きたいかどうか。

 お父さんと行く場合は、お家とお別れをすること

 幼稚園も変わること

 私は子どもの時に良い情報だけ聞いて引っ越しをすることになったので、友達や幼稚園と別れることをあまり理解していませんでした。

 長男には、わかるように少しずつ話をしました。

 すると長男は「ぼくはひとりでもここにいる!」と言いました。

 「お母さんとお父さんどちらかいないと困るでしょ」と話したら、

 「パンとか食べるから平気」

 長男はお米好きです。でもパンなら自分でも用意して食べられると思ったのでしょう。

 長男は「お父さんは帰ってきてくれるなら待てる!」と宣言していました。

 私にも夫にとっても心強いお言葉でした。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

 次回は、単身赴任中の心がけたことを書いていこうと思います。

 よろしくおねがいします。


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