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群衆哀歌 16

Before…

【零-私 参】

 ここ、どこ?
 徐々に意識が覚醒していく。起き上がろうとした時、両腕から金属音がして動けなかった。少し離れたところから、シャワーを浴びる音がする。薄暗さに目が慣れてきた時、私の手首に手錠がかけられていることが分かった。

 どうして?さっきまで冬恵先輩と楽しくご飯食べてたのに。私に何があったの?数々の疑問、自由を奪われている恐怖、誰かは分からないが、確実に誰かいる。怖い。助けて。先輩。

「助けて、動けないの!冬恵先輩!」

 尊敬していた先輩は、濡れたままの一糸纏わぬ姿で、シャワーの音がした場所から出てきた。

ー起きた?ごめんね。哀勝、ごめんね。
「何言ってるんですか!?大丈夫ですか?どうしてこんなこ…」

 その続きは、火照りきったくちづけで奪われた。そして、そのくちづけを通して再びカフェで味わったあの香りが喉元を焼いた。

 酒。それも、かなり強い度数の。お父さんがお酒好きで、時々家で飲んでいた時に父から匂ったあれだ。あの時飲んだものはお酒だったんだ。口移しで再び酒を飲まされ、混乱と酩酊に堕ち始めた。自然と涙が出てきた。大好きな冬恵先輩が、裸のまま涙を流しながら、私を強く抱き締める。

ー哀勝、ごめんね。私の絵を好きって言ってくれてから、ずっと哀勝のこと好きで、私のモノにしたくて、私だけの芸術にしたくて。だから今晩だけ、今晩だけでいいの。私のモノになって。お願い。
「先輩、どういうことですか…。私、先輩のこと本当に大好きなんですよ。なんで、どうしてこんなこと…。」
ー私の願いを叶えてくれるよね、哀勝いいって言ったよね。お願い、そしてありがとう。
「せんぱい…」

 そこからは一方的だった。両脚は、冬恵先輩に跨られてどうしようもない。腕は手錠で抵抗できない。私も徐々に冬恵先輩と同じ姿にされていく。もう声も出せない。抗う気力すら奪われてしまった。

 冬恵先輩の淫らな衝動は止まらない。胸を優しく撫でまわされ、先端を舐められる。快感なんてなくても、脳は無意識に声を出そうとする。押し殺す。私は気持ち良くもなんともない。不快。嫌だ。助けて。でも声が出せない。自由も利かない。そして両脚の付け根の間に、荒げた吐息の口が、そして舌が触れる。這い回る舌に舐められた部位は、冬恵先輩の唾液とは別の湿り気を帯び始めた。胸の先端を撫で続ける指とは反対の腕の指が、徐々にその中へ侵入してくる。舐められ、撫でまわされ、弄ばれ、やがて私は抵抗を完全に諦めた。

 朝陽が昇りだした時、その一連の行為は終焉を迎えた。手錠を外され、封筒を置いて冬恵先輩は部屋を後にした。私は、空っぽになった。
 夏の蒸し暑い早朝、生まれたまま時が過ぎた身体で、小さな窓から外を見る。緑色の沢山の葉が朝風に吹かれている。私は、枯れてしまった木なのに。
 封筒を開けると、「ごめんね、愛してたんだ。」と一言書かれた手紙と一万円札が五枚入っていた。それらの紙切れは、木から千切れる落ち葉のように掌から散っていった。

【零-私 肆】 

どれくらい時間が経っただろうか。室内の電話が鳴った。落ち着いた女性の声だった。
「チェックアウト時間過ぎてますけど、大丈夫ですか?」
 我に返って部屋を見る。小さな。ビジネスホテルのような部屋。
「少し、お部屋に来て頂けませんか。」
「分かりました。すぐに向かいますか?」
「いえ、二十分ほどお時間を頂きたいです。」
「かしこまりました。二十分後、お部屋へお伺いします。」
 剝がされた衣服を再び身に付けた。汗臭い。一度は纏ったが、結局衣服はゴミ箱の方へ投げた。一度シャワーを浴びよう。冬恵先輩が使ったシャワールーム。でも、かつて憧れていた冬恵先輩の面影は、微塵も残っていない。私の中の感情は全て吸われ、それを思い出して吐いた。吐いて、吐いて、胃液しか出なくなってもなお吐き続けた。何もかも失い、残された残骸が私。

 昨日のことを忘れたくて、部屋を漁った。ガウンを見つけて袖を通した時に、ここがラヴホテルという場所だと分かった。部屋の片隅に座り込んだ。もう涙も出ない。悲しみも憧れも愛も何も無い。以前味わった闇よりも更に暗くて深い闇に、山浜哀勝は完全に沈み込んで吞まれてしまった。

 電話をしたフロントの女性が部屋へ来た。事情を説明し、学生証を見せた。私の誕生日は十月なので、まだぎりぎり十九歳である。両親にも連絡が行った。
 フロントの女性は、夜勤の人から話を聞いていたようだった。酔っ払いとそれを介護する女二人が来たぞ、と。その女性は同性二人組の来客を珍しく思い、この部屋を意識していたようで、優しい言葉をかけてくれていた。しかし、完全に沈み込んだ哀勝にはその声が届くことはなかった。

 ぬけがらのような私を、両親が迎えに来た。母は泣いていた。父は激怒していた。着替えを持ってきてくれた。その着替えに手足を通した。汗と汚物に塗れた服は全部その場で捨てた。その足で警察署へ行き、経緯を説明した。説明している途中も、何度も吐いた。思い出す度に、大好きだった冬恵先輩と、理想像から完全に乖離した冬恵先輩が交互に脳内でメリーゴーラウンドのように回り続けて、吐いた。

 冬恵先輩と、その両親が来た。冬恵先輩もまた、心做しか私と同じく枯れ果てた姿に見えた。服装こそいつもの独特な格好だったが、枯木に布切れが引っ掛かっているようにしか見えない。

 そして、私と冬恵先輩は席を外すように言われた。それぞれ別の部屋で、両親と警察の話が終わるのを待ち続けた。
 何か食べる?と中年の婦警さんに言われたが、胃の中に何も入れたくなかった。それを拒否し、ずっと窓の外を眺めていた。何度か、別の部屋の扉が開いて閉まる音がした。開閉音の後は、また静寂に包まれる。その時間は永遠に思えた。

 長い時間の末、両親が出てきた。家に帰った。毎日温かかった食卓は、冷えきった気まずい沈黙に包まれている。父が沈黙を破った。警察でのやり取りを教えてくれた。冬恵先輩はお金持ちの令嬢で、私が一浪していたので二十歳を超えていると思ってお酒をこっそり振る舞ったらしい。しかし、己の欲望の為に冬恵先輩が睡眠薬をお酒に仕込んでいたことは吐露したそうだ。そして、冬恵先輩の親は望んだ額を慰謝料として出し続けるから表沙汰にしないで欲しい、の一点張りだったらしい。私の中にはもう何も残っていない。反射のように言葉を紡いだ。

「それでいいよ。復讐とか考えちゃいないし。私、転学する。私が社会に出るまで、私とお父さん、お母さんが不自由しない額ぶん取ってよ。私、しばらく独りになりたい。この街を出たい。お願い。独りにさせて。」

 最後の方は泣きながらの訴えになっていた。枯れきったと思っていたが、目から流れ落ちた数滴の水分は僅かに残っていた最後の養分だったようだ。最初に母から、そして父に抱き締められた。完全に朽ち果てた心と体を引き摺って、私は故郷を出た。
 冬恵先輩とは、あの警察署以来会っていない。携帯は一度解約し、別のキャリアで契約した。アドレスも、番号も、SNSのアカウントも、全てを抹消して新しい孤独な人生を迎えた。しかし、「冬恵」という名前だけは、脳の最も深い部分に刻印として残った。

 ハイレベルの国立大から中堅程度の私立大学への移動なので、転学はスムーズだった。適当にコンビニで聞こえてきた大学に決め、その大学からそう遠くない寂れた街外れに一人引っ越した。秋を迎え、転学してその私立大に通ったが、そこで上手く生きることはできなかった。辛うじて残っていた枯木はたったひと月少しでへし折れ、女性恐怖症と適応障害という精神病を患ってカウンセリングに通う羽目になった。

 そして、カウンセラーとのやり取りを重ね、徐々に枯れて折れた木の跡地に、ひとつの芽が生えた。カウンセラーからは学部を変えることを勧められた。変更先の学部の方が私にとっての選択肢が広いし、その上に元々勉強もできるから頑張れるよ、そして女性が怖いなら男性と仲良くして孤独を埋めればいいんだよ、とアドバイスを貰った。

 そして大学二年の終わりが近付いた頃、私は今の学部に編入した。優しそうな男数人に、勇気を出して声を掛けて仲良くなれた。生き抜く術を身に付けられた。それを駆使し、自分に関わりそうなものに対して情報網を張り巡らせた。今思えば絡新婦みたいだなぁ。枯れた木を誤魔化す為に、子蜘蛛を使って、巣を張って、葉っぱを適当に絡めとって、立派な木になったように見せてるだけ。でも、もうどうでもいいんだ。完全に枯れちゃって折れちゃったから、もう一回花を咲かそうなんて思ってない。

 そして、青髪の彼と出会った。彼は不思議と、私みたいに枯れてる感じがしたんだ。彼とは何かと不思議な縁があるんだよね。彼も私の葉っぱにしてやりたくてちょっかい出したんだよね。でも彼は私の糸に絡まなかった。私の意図しない行動ばっかり。分からないけど、なんか似てる気がするんだよね。こんな私に似てるって、すっごい失礼だけどさ。

 青髪の彼のオイルライターの音で、私の昔話は終わりを告げた。

Next…


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