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ほろ酔いゲシュタルト 05

Before…

【五】

 今年の夏は特に暑い。にも関わらず、事務所の中は妙に涼しげだ。それは気温がどうというものでは無い。心の中に寒気というものが俺とアヤの中に残っているからである。あの兄妹を見送ってからどうも気力が湧かない。あの幼子は、両親を殺めたのか?それとも、殺めた両親が相応の報いを受けただけなのだろうか…。

 そんな思考に支配されてどれくらい経ったか分からない。我に返ったのはいつもと違う鈴の音だった。いつもの「チリリン」という呼び鈴では無く、風鈴のようなか細く、だが確かに耳に残る不思議な「チリーン、チリーン」という音。
「おォ、この音か。」
「わぁ、ここ来てから初めてだね!」
 妖コンビは何やら楽しそうというか、好奇心が溢れて堪らないような様子である。アヤも「?」という顔。
「この音はなァ、まだ死んでおらん魂が来た証じャ。」
 開かれた扉の先には、皺だらけのクールビズ・スーツを着た男が大層驚いた様子でこちらを見ている。

「あれ、この先海じゃなかったか…?ここどこだ?」

「いらっしゃい、悩めるお客さん。細かい事は気にしないでいーからさ。とりあえずこっち来なよ、和菓子とよーがし、どっち好き?」
「うわっ、狐が喋った!ってかしっぽすっげぇあるじゃんか、何だよここ!俺もしかして狐に化かされたってやつか!?」
 蜷局がけらりけらり笑いながらその男の元へ這い寄り、鎌首をもたげて叫んだ。
「じャかしャァ!えェから入れッと言うておるじャろォ!」
 男は気絶してしまった。

 布団を敷き、アヤが冷たい麦茶を用意して枕元で心配そうに男の様子を窺っている。その間に俺は男が持っていた鞄の中を見た。履歴書と筆記用具、ほぼ空っぽの財布とスマートフォン。電源を触ってみると、通知が一件届いていた。

選考結果のお知らせ
誠に遺憾ではございますが、この度は採用を見送らせ…

 全文を見なくとも、この短文だけで内容は理解できる。きっと仕事に恵まれず、倒れる前に零した「海」という単語から察するに、海の近くで生死の境目へと迷い込んだのだろう。
「みんな、お兄さん起きたよ!!」
 アヤの言葉で、とりあえずコン介と蜷を待たせて男を改めて迎える。
「先程は驚かせてすみませんでした。俺はアマタと言います。状況を一から伝えようとするとまた混乱させてしまうので単刀直入に聞きますね。お兄さん、死にたいんですか?」
 「何故それを!?」と叫びながらガバッと布団から飛び起き、再び取り乱そうとした男性にアヤがお茶を差し出して飲ませた。生ビールの一気飲みが如き勢いで飲み干し、彼はやっと落ち着きを取り戻した。彼はここに来てから慌てたり倒れたりと大変だったが、ようやくテーブルへと案内することができた。
 和菓子を希望したのでみたらし団子を振る舞った。最後のひと玉を食べ終え、ポケットから出したしわくちゃのハンカチで口元を拭くと、やっと語り出してくれた。
「お嬢さん、さっきはどうもありがとう。」
「いえ、むしろびっくりさせちゃってごめんなさい。私はアヤと言います。見ての通り、こちらの狐と蛇は妖怪なんです。そして私も。アマタさんは妖怪というより幽霊、かな。でも悪さはさせませんから。」
 俺は男と目をしっかり合わせて、コン介はにこにこしながら、そして蜷局は半分不貞腐れたように、それぞれ首を縦に振った。
「おにーさん、さっきはごめんね。僕はコン介。アヤが名前くれたんだ。かわいーでしょ!」
「けッ、先程はすまんかッたのゥ。我輩は蜷局と申す。このアマタの名付け親にして、アマタの使いであり、アマタは我輩の使いじャ。」
 男は「はぁ」と言いながらも状況を飲み込んでくれた。そして、彼の現状を語り出した。
「僕、前の仕事クビになったんですよ。一年位前かな。取引先に失態してしまって。それから少し休んで、諸々の手当てとかお金貰ってから再就職しようと思ってたんですけどね。元が大手だったもんで失態の噂が広がってしまってしまったんです。どこ行っても見向きもされなくて。最後に対面で面接してもらえたんですけど、スマホに不採用の通知が来た時にもういいやって思って地元の海に行ったんです。見慣れたはずの砂浜に、全く見慣れない扉があって。扉の裏側には何も無い。粋なオブジェだなって開けたらここに繋がって…。笑っちゃいますよね、二十連続落選。初めて面接してもらって希望が生まれたと思ったらぬか喜び。貯金も底を尽きてどうすればいいか分からなくてね。」
 自嘲的に笑って二杯目の麦茶を飲む。
「親は心配性だから、仕事見つかったってことにして連絡とって無いんですよね。もしまだプーしてるってバレたら、学費まで負担してもらってんのに示しつかないし。だったらもう死んじまえば何も考えなくて済むし、楽になれんのかなぁ。」
 この事務所を開いてから、初めて感情が爆発した。よれよれのワイシャツの襟首を掴み、どてっ腹に思いっ切り突きをかました。
「ぇ、げっほ!アマタさん、何しやがんだよ!幽霊だか何だか知らねぇけどよ、ここで僕の事ぶっ殺そうって魂胆か!?大歓迎だ、やれよ!早くやれ!楽にさせてくれよ!」
「おいあんちゃん、てめぇ歳幾つだ?」
「二十六だよ!だからどうしたおっさん!」
「俺なぁ、酔っ払いにぶつけられて階段から頭十三回打ってな、脳味噌片っぽ落っことして死んだんだよ。死んだ方が苦しくて辛かったさ。だから迷ってる奴ここで迎えてんだ。同じ目に遭ってもいいってんならそこ案内してやるから覚悟しとけ。」
 アヤに押さえられて何とか落ち着いたが、一度人生を舐め腐って死んだ身である。あの苦痛を教えてやって、それでも楽になりたいと抜かすなら望み通りにしてやろう。そう思った時、奥の箱の壁際に映像が流れた。プロジェクターでもあるかのように。
 俺も第三者視点からは初めて見たが、俺が階段から落ちた瞬間だった。頭を何度も打ち、途中で頭が割れて脳が剥き出しになって、落ち切った階段の下で血みどろで死んでいた。
「あゎ、わ、ぅえ、あぉ、あ…。」
 生前の俺と歳が近しい彼は失禁して腰を抜かした。情けない身形に情けない恰好の男の髪を掴んで語りかける。
「俺も初めて見たけどさ、俺死んだ時こんな感じ。今よりこっちのが楽ならここ連れてって突き落としてやるけど。どうする?」
「か、かかか勘弁して!嫌だやだやだやだ!怖い!無理!アマタさんほんとごめんなさい!僕死にたくない!!でもどうすればいいの!?」

 明確に「死にたくない」という言葉を引き出した。後は彼次第だ。箱を開けるよう促すと、彼が着ているものと全く同じスーツが綺麗に畳まれて入っていた。排泄物で汚したスーツを脱ぎ捨てて着替え、提灯の案内で扉を開くと、そこには年配の女性が佇む古い家だった。
「お、お袋…?」
 事務所メンバーは扉の陰に隠れて様子を見ることにした。
「あら、あんた!久し振りに帰ってきたじゃない!先に言っといてよもう、何も準備してないわ。何食べたい?作ってあげるよ。」
 男はおろおろしていたが、ふっと背筋が伸びた。姿勢を正したまま、ゆっくりと膝を折り、土下座した。
「お袋、ごめん!僕嘘ついてたんだ!取引先でミスってクビになってからずっと仕事見つかんなくて、金無くなって、でも心配かけたくなくて…。」
 お母さんと思われる女性はふっと笑って、奥の箪笥から封筒を取り出して彼に差し出した。
「知ってたわよ、それくらい。だってあなたのお父さんは同業でしょ?噂は聞いてるってずっと言ってたもの。今日面接だったってことも知ってるわ。これ、持っていきなさい。出世払いでいいから。めげちゃだめよ。近々お米送ってあげるから、しっかり食べるのよ。」
 男はぼろぼろ泣きながら封筒を受け取り、母を抱き締めて戻ってきた。

「何だかんだ親思いの若僧よのォ。後は我輩に任せィ。ひと肌、いやひと皮脱いでやるわィ。」
 蜷局が螺旋状に身体を巻き始めた。天井まで届かんとした瞬間、喪服のように真っ黒なスーツとネクタイに、黒髪を黒染めしたような漆黒の長髪の長身男に化けた。二メートルくらいありそうだ。
「わーお、蜷局くんも化けられたんだ。」
 コン介がすっかり関心している。人に化けた蜷局に言われるがまま扉を再び開くと、今度はオフィスに繋がった。男が囁いた。
「ここ、面接したとこです…。」
 蜷局も小声で「いいから行けェ」と言って背中を無理矢理突き飛ばし、再び扉の陰から覗き見タイムに入った。

 オフィスには偉そうな態度をした男が、乱雑に散らかった机の書類を積み上げながらふんぞり返っていた。
「何だ、さっきの君じゃないか。通知のメッセージは送ったが、何か?」
「え、えっと、あのですね、メッセージは拝見しました。ですが…」
 あァじれッたい!と蜷局が扉の向こうへと進んでいった。
「あの、貴方様は…?」
「五月蠅い阿呆!この男を雇わんとはどういう事じャあ、あァ!?もういッぺんその紙ッ切れ見直せェ戯けェ!!」
「何ですかあなたは!警察呼びますよ!」
「役人でも何でも呼べや馬鹿者。じャがその前に、己らの過ちに気付けぬと、お縄を貰うのは誰になるか分からんぞォ?」
 蜷局の背中越しからは凄まじいオーラを感じる。扉を出て数歩という距離から、こちらが吹き飛ばされそうな圧。
「わ、分かりましたよ…。一度採用についての書類を見直した上で警察を呼びます。いきなり不審な人物に仕事の邪魔されちゃ困りますから。」
「も、申し訳ございません!私の連れが言う事聞かなくて、とんだご無礼を致しました!」
 迷える男はすっかりしどろもどろだ。慌てた手で一枚入っていた履歴書を差し出し、「念の為に持っていた予備です…」とオフィスの役員に渡した。蜷局が一瞬こちらを見て、舌なめずりした。
 提出した書類と机の上に乱雑に置かれた書類を見比べた役員は、血相を変えて立ち上がり、何と男に頭を下げた。
「大変申し訳ございませんでした!誤って不採用通知を送りましたが、あなたには是非当社にて活躍して頂きたいと上層部の決定を預かっております!机の書類と紛れて間違えてしまって…。本当に申し訳ありません!!」
「えっ、僕採用してもらえるんですか…?」
「左様でございます!明日より即戦力として頑張って頂けるよう手続きを進めますので、私の失態はどうかご内密に…!」
 かかッ、と蜷局は満足そうだ。
「どォする貴様、警察とやらを呼ぶか?貴様の無様を知らしめ没落の第一歩となるじャろォが、呼んでやろゥか?」
 役員の男はますます慌てる。
「滅相もございません!大変ご無礼を!どうかお許しください!」
「では、この若僧を頼んだぞ。」

 扉を閉め、迷い込んだ男を置き去りにして蜷局が戻ってきた。あの剣幕と死生の境にいた魂を押し戻したことに、ただただ感動の鳥肌を帯びながら絶句するばかりだった。
「たまにャあ、餓者の旦那の面子も立ててやらんとなァ。」
 そう言って、蜷局はどろんと煙を立てて真っ黒な衣装からもとの蛇の姿に戻った。だが、俺は確かに見た。

 蜷局が蛇に戻る瞬間、長い黒髪の先端が僅かに、だがとても美しい銀色を帯びた瞬間を。

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