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ほろ酔いゲシュタルト 12

Before…

【十二】

 何年振りかの風邪をすっかり拗らせた。決して動けないという訳ではないが、どことなく気怠く、鬱陶しい。陽が落ちてからは涼しく、だが陽が昇ればまだまだ暑い日々。寒暖差にすっかりやられてしまったようだ。
「アマタさん、無理しなくていいよ。私たちがいるから事務所は大丈夫。にしても、死んでからも風邪ってひくんだね…。」
 いつも通り優しいアヤが卵粥を作ってくれた。布団から半身を起こして食事にする。ホスト姿に化けたコン介も卵粥をはふはふと食べている。
「まー、まだ人の面影が強いんだろーね。妖が身体を壊す時はだいたい強烈な邪気に当てられた時だし。こないだのお客さんはそんな事全然なかったから、純粋に疲れが出たんだよ。」
「情けない、かの大蛇の名を拝借しておきながら夏風邪たァな。まァ、それだけ心が休まッている証でもあろォ。生前は身体がイカれても気が付かなかッたんじャないか?」
 言われてみれば確かにそうかもしれない。自分がいなくなることで与えられた役割に穴を開ける事が申し訳なく、ついつい強行していた節も確かにあった。こうやって看病してもらえる環境が無かったことも、原因としては少なからず考えられるが…。
「蜷局の言う通りかもしれないな。何だか生前は休む事が悪、みたいな風潮が俺の環境にはあったし。にしても、コン介は何故化けてるんだ?」
 俺の問いと同時に、コン介は狐の姿に戻ってしまった。お皿に僅かに残った卵粥を舐めながら答えてくれたが。
「もふもふだとね、べちゃべちゃしたやつは食べづらいんだ。だから人に化けてからひと通り食べて、残りはこっちで綺麗にする。アヤの料理はとってもおいしーからさ。」
 成程、と手をポンと叩いた時、扉がノックされた。鈴も鳴っていないのに珍しい。

 鍵を開くと、そこには若い眼鏡の女性が半開きの目で立っていた。
「ぉよ、誰もいないはずなのにお手洗いに鍵が…。あら、いつの間にか開いた。あぁねむ、眠い…。ってここトイレじゃない!何ここ!?間違えましたごめんなさい!!」
 恐らく寝惚けていた女性が我に返り、慌ただしく扉が閉められた。遅れてチリリン、と鈴が鳴った。
「これ提灯、何をしておる?さては貴様も居眠りしておッたな?」
「いや、あんまりにも突然だったもんで鳴らす暇も無かったんでさぁ。いつも予兆とかあるもんなんですがね、あのお嬢さんは…。おっと、またおいでなすった!」
 再び開かれた扉。寝癖でぼさぼさの眼鏡の女性。目を真ん丸にして迎える我ら。
「あらら…?アタシの実家のトイレはついに変なところに繋がっちゃったみたいですね。すみません、お手洗いを拝借しても?」
「あ、あぁ。どうぞ。こちらです。」
「どーもぉ。すみませんね、寝惚けちゃって。」
 一応、お茶と団子を用意しておいた。お手洗いから戻った女性にこの場所の説明をすると「なるほどぉ」とあっさり納得し、皆でテーブルを囲んで深夜のおやつタイムが開かれた。

「昔から慣れっこでしたから、なんか図々しくてすみません。時々あったんですよ。姉弟とか親戚とかくれんぼして押し入れ開けたら布団とか何も無くて真っ暗な空間だったり、そこに入ってみたらどういう原理なのか台所の床下収納から出てきたり…。あ、お嬢さん、お団子とお茶おいしーです。」
「ありがとうございます!お姉さん、って呼んでもいいですか?」
「おねーさん、よりはアネさん、がいいかなぁ。そっちのが呼ばれ慣れてるし。」
 飄々とした雰囲気に、妖や怪奇といった現象にかなり慣れている。今まで訪れた事の無いタイプのお客さんだ。
「うちの事務所については先程説明しましたが、アネさんは何故ここと繋がったか、心当たりとかありますか?」
 あはっ、と笑うアネさん。
「あるある、ここアタシの実家なんですけどね、あ、ここは違うか。まぁいいや。とにかく里帰りしたんですよ。二週間遅れで。親戚全員で集まろうって時に感染症が爆発しちゃって、アタシはタイミングずれたから罹らなかったんですけどね。他の親戚は全員、旅に出ました。んで諸々終わってお片付けとか整理してたら寝ちゃって夜になってて。寝惚けながらお手洗い行こうとしたらここに繋がってました。」
 さらっととんでもないことを言ってのけた。身内全員死んでしまったのか…。
「ほほォ、その割にお主は随分とあッけらかんとしておるなァ。今望むものは死者との繋がり等じャなさそォだな?」
「はい、今最も望むものは上質な睡眠です。明日で休み終わっちゃうんで。ってか蛇さん、昔会った事あります?」
 俺も驚いたが、当の本人が一番驚いたようだ。蜷局は思わず飛び跳ねてしまい、テーブルに身体をぶつけて縁にあったお茶を落としてしまい、頭からお茶を被ってしまった。
「冷たァ!全く、熱くなくてよかッたわィ。にしてもお主、何故そォ思う?我輩はお主を知らぬ。お主のような人間ともし面識があれば忘れぬよ。こんな強烈な知人は知らん。」
 アネさんの寝癖が、傾げた首と一緒に揺れる。
「そっか、んじゃ気のせいだ。それかお家柄かも。とにかくゆっくり寝たいんでそんじゃ。アヤちゃん、お茶ありがとねん。おやすみ。」
 ふらふらと出口に向かうアネさんの脚に巻き付き、蜷局が引き留めた。
「待てェ!寝床なら貸してやる、何かの縁じャ。上等な眠りから覚めたらそのお家柄とやらを教えてはくれぬか?お主とここで別れたら後悔する気がしてな。頼む。」
 もたげた鎌首をぺこりと下げると、アネさんもぺこりと会釈した。眼鏡が落ちてしまったが。
「いいですよー、丁度眼鏡も取れたしこのまま寝させて下さい。起きたらお話しますね。ふあぁ、おやすみなさーい。」
 アヤが気を利かせて準備してくれた全員分の布団にそれぞれが潜り、「おやすみ」を言った。豆電球に蜷局が飛び上がって身体を一瞬巻き付けると、部屋は忽ち真っ暗になった。闇の中で、蜷局の独り言がぶつぶつ聞こえる。

 気付くと朝になっていた。アネさんが「よく眠れたんで、お礼に朝ご飯作りますよ。食材使い切らないともったいないし」といって実家に招いてくれた。俺とアヤが朝食の準備を手伝い、人の姿に化けたコン介と蜷局が食卓の準備を進める。朝陽が差し込むアネさんの実家はとても立派で、古き良きを感じる佇まいだ。
 朝から豪勢な食事である。なんでも旅立たれた方々が用意してくれた食材らしく、捨ててしまうつもりだったので助かったとの事。
「それで、昨晩お話されていたお家柄というのは?」
 アネさんは昨夜にも増してぼっさぼさの寝癖だが、目は爛々としている。
「うち、蛇神信教なんですよ。先祖代々。なんでも遠い昔のご先祖様が稲作やってて、蛇神に救われたってんで。アタシらは小さい頃から蛇様は大切にしなさいって大人たちから教わって育つんです。」
「なるほどねー、話としてはおかしな事は無いよ。蜷局って昔は蛇神だったんでしょ?良かったじゃん、まだ信者の末裔がいて。」
 こぼさないように細心の注意を払いながら、お茶を飲む蜷局。
「祀られていた頃の記憶が残ッておらんのが残念じャ。確かにこの邸宅からはただならぬ気を感じるがなァ、それが我輩に向けてかどうかは知らぬ。」
 食事を終えた時、アネさんは「そうだ!」と言って食器洗いを俺とアヤに任せ、二階へ駆け上がって行った。頼まれるがまま食器を片付けたが、待ちの時間はとても長かった。戻ってきたのは小一時間程経った後だろうか。
「やっと見つけた。これ、小さい時に見せてもらったの。蛇を粗末にしたらおっかないぞーって。家宝なんだって。」
 小さな桐の箱を開くと、そこには何かのミイラらしきものが入っていた。ぎょっとしたが、化けた蜷局の襟足がとても眩しい銀色に輝いた。
「これは、我輩の一部じャ。自分の身体を間違えるはずが無かろォ。八ツ裂きにされた一部分。まさか残ッていたとは…。」
「へぇ、何かの縁だね。蜷局さん、これあげる。というか返すよ。」
 桐の箱を丁寧に閉めて蜷局に渡した。今回の蜷局は色々と動揺しっぱなしである。表情は落ち着かず、言葉に迷っているようだ。アネさんにはお見通しらしい。
「アタシの身内は皆死んじゃったし、独り身のアタシが持ってても仕方ないでしょ。持ってってよ。たいじょーぶ、今後も蛇さん信仰は忘れないから安心して。」
 蜷局はアネさんを抱き締めた。アネさんも驚いたようだが、「ひんやりして気持ちいい」とハグを返した。
「お主、御不幸の最中にも関わらず我輩のような怨霊を想ッてくれた事、腹の底から感謝する。この抱擁に誓おう。我輩は必ずやこのドス黒い怨念を振り払い、この髪先と同じ銀を取り戻す。そして、信じてくれた者に対して恩を返そう。怨みでは無く、恩を。」
「そっか、頑張ってね。アタシと会えたのも何かの縁。小さい頃から信じてた蛇神様に会えてよかったよ。お互いに、幸あれ。」

 この事務所に来てから、見送られる側に立ったのは初めてだ。蜷局は蛇の姿に戻ったが、しっぽの辺りが銀色のままだ。蜷局が立てた誓いを守り抜けるように、俺も出来る事を探してみよう。

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