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青い春夜風 23

Before…

【二十三】

 家路を走る車の中で、ぐちゃぐちゃだった頭の中をひとつひとつ整理しようと試みる。
 午前中の部活までは、特に大きな問題も無くいつも通りだった。熱中症対策で午前七時半開始のため、定時より一時間早く出勤した。午後はリフレッシュするために休暇を取得。行きたいラーメン屋があったので、そこで美味いもんでも食べてから買い出しに行って、夕方くらいからのんびりしようと決めていた。

 予定がひっくり返ったのは、部活を終えてから。案の定熱中症警戒アラートが出てしまい、十時までを予定していた部活は九時半で打ち止めにせざるを得なくなってしまった。活動を中断し、部員たちとミーティングを兼ねたお喋り会をしてから解散と段取りを組み直した時に放送が入った。

「晴野先生、晴野先生。職員室にお戻りください。」

 主任の声だ。片付けも終えてあとは帰るだけだったので部長の挨拶で解散し、急いで職員室に戻ると、入口の前には意外過ぎる来訪者がいた。
「木ノ原、小関!どうしたんだ?別に登校日でもなんでもないぞ?」
 二人より先に、背後から声を掛けられた。
「彼ら、晴野先生に相談があるんだって。」
「うわぁびっくりした!…主任、何があったんですか?」
 職員室に背を向ける格好だったのと、二人に気を取られていたので後ろが疎かだった。
「小関くん、木ノ原くん。もしよかったら私も同席していいかしら?話しづらいなら離れるけど。」
 二人は顔を見合わせ、頷いた。
「主任にも聞いて欲しいです。お願いします。」
 教室のエアコンをつけて涼しくし、机を対面するように動かして相談に乗る準備ができた。
「それで、わざわざ二人で夏休みなのに何があったんだ?急を要することでもあったのか?」
 わざわざ聞かなくても、木ノ原の表情を見れば分かる。彼は本調子とは程遠い所にいる。軽口を叩く様子が全くないからだ。
「先生、一昨日、光佑が襲われました。」
「えっ!?」
 驚きの余り立ち上がってしまい、机に足をぶつけ、椅子を吹っ飛ばしてけたたましい音が教室内に響き渡った。
「…すまん、取り乱した。一昨日って休暇前最後の登校日だよな?その後、放課後ってことか?」

 二人から聞くところによると、昨日平野・篠と四人で雅の商店に行った時に怪我をしている光佑がいて、雅経由で何があったかを聞いた。催涙スプレーで奇襲し、完膚なきまでに叩きのめされアバラ骨が折れる大怪我をした。そして雅の脚には、リストカットの痕があった。そして光佑が塞ぎ込む雅に怒ってぶん殴り、雅も本調子に戻って光佑に頭突きし気絶させたという事件だったらしい。

「あの二人は、怪我はともかくメンタル的には大丈夫だと思うんです。雅も自分で立ち直ったって言ってましたし。」
 小関の言葉を聞いてもなお取り乱す俺とは対照的に、主任はとても冷静に見えた。だが一年の頃から学年を組んでいて、これほど切ない表情をしている主任を見たことはない。
「そんなことがあったのね。わざわざ学校まで来てくれて、話してくれてありがとう。ところでね、」
 二人の教え子は身構えた。背筋がピン、と伸びた。
「君たちは北小出身でしょう?何年か前に卒業してった私の教え子にね、こんなことを言って卒業してった菊宮小出身の子がいたの。やっとこの狭くてクソみたいな伝統からおさらばだ、って。何か知らない?」
 背筋を伸ばしたまま、二人とも俯いてしまった。間違いなく何か知っている。だが、テンパる俺の中で「これ以上突っ込むな」という、警鐘が鳴り響く感覚。それが辛うじて余計なことを言わないよう自分を抑え込めている。
 小関が顔を上げ、木ノ原の肩をぽん、と叩いた。木ノ原も前を向き、重々しく口を開いた。
「はい、知ってます。詳しく話すと長くなりますけど、時間大丈夫っすか?」
「あぁ、大丈夫だ。」
 木ノ原の言葉で、幾分か落ち着くことができた。これは何かを覚悟した目だ。
「夏休み直前のあの日、二人は林・森田と口論してたな?あの時に二人は何も言ってくれなかったけど、それとも関係があったりするのか?」
「うぃす。俺ら北小のメンバーは、毎年菊宮の連中を、何て言うんですかね、見下してる的な感じなんです。先生にバレないように陰でこそこそと。俺ら北小出身がやりたい放題できるように。先輩たちから教わるんですよ、やり方とか色々。菊宮の連中も先輩たちから聞いてるみたいで、ある種の伝統になってるんす。だけど、俺が調子に乗ってあいつらと一年生カツアゲした時にぶちのめされて、納得できなかったって晴野先生に言いましたよね。そしたら光佑が登校してきて、きっちりスジ通して謝ってくれた。あの時ですかね、だせぇことやってんなって思ったの。」

 木ノ原が口火を切ったことで、小関も木ノ原の説明を補填するように詳しく教えてくれた。主任ですら引き出せず、俺も三年間微かな違和感で留まっていた生徒たちの真相。
「俺、一年の頃はふんぞり返ってたんですよ。トラブルあったら母ちゃんがしゃしゃり出てきて解決してくれる林と、器用にずる賢く思うようにコトを進められる森田とずっと一緒だったから。中学入った時、目立ちたがり屋にしか見えなかった雅とスカしてる光佑のコンビに会って、調子に乗ってるあいつら潰そうって話になって。今思えば、調子に乗ってたのは俺らだったんですよ。すんませ、ごめんなさい、あの体育祭の日、あいつらの、雅、光佑の、その…。」
 耐えきれなくなった木ノ原は泣きじゃくってしまった。小関も引っ張られるようにもらい泣きしながら話を続ける。
「先生、ほんとすみませんでした。三組の、北小の皆は菊宮出身のメンバーに謝って、許してもらったんです。今は、三組と一組・二組の対立って感じなんです。一組と二組にも反対派はいるんですけど、ほとんどの奴らはあいつらにくっついてりゃ不自由しないからって言い出さないんですよ。」

 想像を遥かに超える深さまで根を張っていた、この学年、いや、この学校に代々続いていた「クソみたいな伝統」。俺まで涙が出てきた。それは悲しさからくるものではない。二人の生徒が勇気を出して告発してくれたことに対する感動だ。
「よく、よく言ってくれた。ありがとうな、お前らみたいな勇気ある教え子を持てて俺は嬉しいよ。」
 主任がハンカチを貸してくれた。喋ることすらままならない俺に代わって話を続けてくれる。
「二人とも、話してくれて本当にありがとう。一年生の時の体育祭、光佑くんが怒って暴力事件に発展しちゃって一日延期になったのよね。あの時は光佑くんが机を投げて窓ガラス割って、止めようとした木ノ原くんに林くん、森田くんも殴られたってことだったわよね。もし、今なら言えるってことがあったら教えてくれないかしら?君たちが清々しく卒業して、いい青春だったって思えるように。」

 そしてあの体育祭の真相を知った。今まで以上に、心の底から素直になったと感じられる教え子二人を送り出し、主任は俺に代わって光佑のお父さんに現状を伝えてくれた。
「あくまで今日聞いたことを全部言う必要は無いわ。彼らの体調をまずは気にかけてあげて。光佑くんは気が短いから、もしかしたらやり返してやろうとか考えてるかも。その辺も話してみて。あと、落ち着いてね。」
 アドバイスを貰って光佑の家に家庭訪問へ行った。いつもの合図を鳴らしたが、誰も出てこない。鍵も閉まっていて扉は開かない。最悪の事態になっていたら、とまたもテンパってドアを何度もノックした。主任から言われた「落ち着いてね」という言葉を思い出させてくれたのは、鉄製のドアがおでこに直撃した時だった。
 二人は相変わらずで安心した。怪我もそこまで酷くはないらしい。二年前の体育祭の話は持ち出さなかった。冷静に話ができたからこそ、これはいつか何かの切り札になると確信した。

 結局ラーメン屋は諦めて家に帰ってきた。真夏の太陽を浴び続けたアパートの一室は灼熱地獄である。エアコンをつけ、あるもので適当に昼食を作って食べ、満腹感と疲労からそのままベッドに倒れ込んで眠ってしまった。

Next…


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