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群衆哀歌 24

Before…

【零-俺 参】

 さっきまで誰もいなかった無人駅に、倒れている人がいる。さっきは便所行くことに夢中で見えなかったが、誰か一緒に降りたのだろうか。駅を見渡しても、人っ子ひとりいない。他にあの人が頼れる人はいない。
「あの、大丈夫ですか…?」
 その人影は顔をこちらに向けた。スーツを着た、身形は整った男性だった。
「あぁ、お兄さん。すみません、そこの自販機で水を一本買ってはもらえませんか…。眩暈が酷くて。」
「分かりました、少し待ってて下さい!」
「ありがとうございます…。私はお手洗いの中にいます、具合が悪くなってしまって…。」
 そう言って、薄汚い便所へ覚束ない足取りでその男は歩いて行った。俺は急いで水を買って、便所へ駆け込んだ。おんぼろの扉を開き、水を届けに行った。
「買ってきました!具合は…」
 言葉が途中で途切れた。その男がいない。一瞬背筋が凍った。この世のものではない何かに声を掛けてしまったか?なんて思考が脳裏を過った。だが、男はちゃんと生きた人間だった。個室の扉の鍵が閉まる音がした。振り向くと、丁度死角になっていた位置に男はいた。
「おい小僧、お前歳幾つだ?」
 そういって、水を買ってから手に取ったままの財布をひったくられた。

 別の恐怖で身体が硬直した。学生証を引っ張り出された。
「俺さ、さっき同じ電車乗ってたんだけどよ、お前まだ十九じゃん?酔っ払ってるよな?」
「え、それは…。」
「個室で息の臭い嗅げば分かるわ。お前まだ酒飲んじゃだめだろ?え?」
 この男は、最初っからそれが目的だったんだ。思い返せば、列車の中でも酒やらツマミやらの話はしてしまった。迂闊だった。そして大学もバレた。このことが更に他所にバレたら色々ヤバい。何とか逃げられないか。
「あまり持ち合わせないんですけど、幾らか払いますから、見逃して頂けませんか…?」
 その男は整った顔立ちを醜く歪ませ、固まった俺の口を勢い良く塞いだ。
「金なんて要らねぇよ。それよりさ、お互い秘密握り合った仲ってことでよ、ちょっと付き合えよ。」
 買ってきたペットボトルの水をぶん取られ、無理矢理飲まされた。液体と共に大きめの錠剤が幾つか通過した感覚が喉の奥に確かに残った。噎せながら、震える声で問いかけた。
「何か飲ませましたか…?麻薬とかですか…?」
「んなもん持ってねぇよ。ただの鎮痛剤だよ。強いやつだから副作用強くて眠くなっけど、寝ちまうことはねぇだろ。まぁボーっとするぐれぇだ。まぁ寝かせねぇけどなぁ。」
「何するんですか…。」
 個室の外で列車が停まる音が聞こえた。叫びたくても、声が出せなかった。下車する乗客の足音は一つも聞こえず、列車は次の駅へと去っていった。

 男の言う通り、意識が朦朧としてきた。身体に力が入らない。
「効いてきたな。俺と楽しい思いしようや。」
 男は俺のベルトを外し、抵抗もままならぬ状態な俺の衣類を全て脱がして個室の隅に放り投げた。俺は立っている事すら出来なくなっていた。うつ伏せで、虫の亡骸がそこかしこに転がる床に倒された。
「こういう趣味だとさ、発散できる場所殆どねぇんだわ。よろしくな。」
 男のベルトを外す音が聞こえる。身体はもう完全に麻痺していた。目線の先に大きな蜘蛛の死骸がある。

 悪臭を放つ便所の中で、男は俺の男性器を弄びだした。身体が抵抗を許さない。俺の上から胸部を撫で始めた。こういう経験は初めてだが、無論快感など覚える訳が無かった。ただただ気持ち悪い。不快。男性器を弄る手が臀部へと撫でるように移動する。そして、男は自分の男性器を俺のナカに挿入した。
 男は俺に跨って腰をゆっくり振っている。抜き差しされる感覚が生々しく身体の内部から脳に届く。脳は拒否しているが、その拒否を示す身体は微動だにしない。男は喘ぐ。俺は痛みに時折声が漏れそうになったが、必死で堪えた。こんな酷い環境で声を上げてなるものか。それを嘲笑うかのように男は俺と唇を交わし、ゆっくりだった腰の振りは徐々に荒々しくなり、行為を続けた。

 どれぐらい経ったか、列車が来るアナウンスがホームに響いた。男は俺のナカに何かを残して、服装を再び整えた。そして俺の服を漁り、スマートフォンを引っ張り出して何度か踏みつけて壊した。俺は髪を掴まれ、扉から死角になる場所に引っ張って行かれた。衣類と所持品、壊れたスマートフォンをまとめて投げつけられた。横を見ると、さっき死んでいた蜘蛛より更に大きな蜘蛛が巣を張っていた。
「んじゃな優しいあんちゃん。御馳走さん。」
 最終列車がやって来た。終電ともなれば降りる客はそれなりにいた。男はごく自然な様子で個室を出て、その雑踏に紛れて姿を消した。俺は動けなかった。薬の副作用云々では無く、動こうという気になれなかった。目線を動かすと、隣で大蜘蛛が蛾を捉えて糸で巻き付けているところだった。駅の明かりは消え、俺は闇に溶けた。

 便所の扉の隙間から、薄ら明るくなってきた外の光が差し込み始めた。俺を光が照らし出した頃、腹を満たした大蜘蛛を素手で掴んで便器に勢いよく放り投げた。藻掻く蜘蛛目掛けて嘔吐した。固形物も、アルコールも、胃液も、全て吐き散らした。そして流した。
 服を叩き、その服を着て駅を出た。視界に、二十四時間営業の大きな薬局がある。下剤を一つ購入し、飲んだ。その薬局は便所が外だった。そこに何時間も篭り、身体の中に入った見知らぬ男の遺伝子を排泄物と一緒に全て出し切った。

 下剤の効果が切れたのはどれくらい時が経った頃か分からない。自宅行きの切符を買い、家路の一歩目を踏み出したが、魂が殺された抜殻のような心地だった。

Next…


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