初めての借金
CBDオイルを舌下投与してから仕事に出かける。
一応言っておくと、CBDは大麻から抽出される合法的な成分で、ダウナー系のやつ。
毎日やってらんないから、効くかどうかわからないけれど、お守り代わり。
オイルを使う度に、これを買ったときの罪悪感が胸に蘇る。
2年ほど前だろうか。
私は人生で初めて借金をした。
30万円。
その事実は「お金のない惨めなクズ」という自己像に、「お金を借りる惨めなクズ」という自己像を上書きした。
私はお金が、お金持ちでありながらその特権に気づいていない人が、お金持ちになることだけを夢見ている人が、嫌いだ。
嫌うというのも、ある意味逆転したお金への執着である。資本主義を嫌ってマルクスを読んだり、市場論理を嫌って宇沢弘文に傾倒したりしてきた。
このお金への執着は、ねじれた家計に起因している。
収入の良い父親は子供の学費だけは払ってくれたので、私立の学校に通わせてくれた。しかし、母子の生活は、気まぐれに支払われる父からの不安定な生活費と、最低賃金で休日なくダブルワークをする母の雀の涙ほどの収入が担っていた。
母の言動には、うつの貧困妄想もおそらく加わっていた。
口を開けば「お金がない」。食卓に並ぶのは、20円そこらの豆腐ともやし。
ねじれた家計は私のアイデンティティを引き裂いた。
私立の中高に通い大学に進学するという特権を受け取りながら、食べ物も衣類も不十分な暮らし。
「お金に困ってるんだ!!」貧困層のふりをして声を大にして助けを求めるなんてとんでもなかったし、実際この状況で使える制度は何もなかった。
学校に行けば、何十万何百万とする海外旅行や留学にひょいと出かけ、何個も塾をかけもちし、何千万とする私立医学部に入っていく同級生たちがいた。
それがすごい恵まれたことなんだと気づかず、のんきに格差を再生産していく周りの人が嫌だった。
大学生になるとサークルもせずに狂ったようにアルバイトをした。
いつしか母の貧困妄想の世界にとりこまれていたのだろう、いくら働いてもお金がないという感覚が私を圧迫した。
私は自分の口座に「30万円」あると一時の安心が得られるようになり、それを切ると精神が不安定になった。
一人暮らしを始めて半年ほど経った頃だろうか。
どんなに頑張って夜遅くまで働いても貯金を切り崩さないと生活が成り立たなかった。「30万円」を切ってからもお金はどんどん減り続け、私は常に不安に苛まれ、絶望的な気持ちになっていた。
あらゆる手段を使ってお金を稼ぐしかなかった。
温かくて何でも受け容れてくれる知り合いのおばあちゃんに、「お金がないからこうやって稼いでこうやって生活している」と洗いざらい話した。
おばあちゃんはハッキリと「それはダメ。」と言った。「あなたの心とあなたの人生を傷つけるわよ。今すぐやめなさい」。
「30万円あれば安心するんでしょ? だったら貸します。いつか返してくれたらいいわよ。」
私は固辞した。お金を借りるなんて考えたこともなかった。
「でもあなたお金なかったらそれ続けるつもりなんでしょ? そんなの絶対ダメよ。」「あなたここで待ってなさい。今すぐATMで30万おろしてくるから。ちょっとここ空けるけど逃げないでよ。」おばあちゃんはさっさと出ていってしまった。
どうすれば良いか分からなくて、取り残されたまま涙が出てきた。おばあちゃんの厚意を受け取ってまで生きていく価値はないと思った。
涙が止まらないうちに、おばあちゃんは帰ってきた。分厚い札束を差し出される。それは頑なに受け取らない私のバッグに入れられた。
惨めだった。
それは私のお金ではなくおばあちゃんのお金だったから、決して私に安心感をもたらさなかった。
分厚い札束を眺めながら、毎日の食事にも家賃にも使う気にはなれなかった。これほどまでに惨めな私が欲しかったのは、惨めだとかなんだとかどうでもよくなるための「ラリるもの」だった。
その日のうちに、札束をもってドンキに行き、2万円する一番効きそうなCBDを買った。
借金をして、その厚意を踏みにじって高額な薬物を買う自分。
そんな汚くてたまらない自分になりきって、自分をぐちゃぐちゃに罰したかったのかもしれない。
ちなみに当たり前だけどCBDなんかよりずっと抗不安薬の方が効くし、ラリるのならODすれば良い話である。そんなこと分かりきっていて、2万円で買った。
結局残りの札束には一切手を付けず、しばらくして「仕事が安定してきたので」と、おばあちゃんに返した。
あの時の私は最高に卑しいクズだった。
その時のCBDを仕事の日の朝、口にポタポタと滴らせる。
クズな自分をこれでもかと知らしめるように摂取して毎日仕事に向かう。
今の私も最高に卑しいクズのままである。
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