夏の旅日記 二日目 後編【🇦🇹ウィーン,オーストリア】2021.08.11
二日目 前編はこちら⏬
■まだまだ続くウィーンの旅
・15時のスイーツ(スターバックス)
新王宮がしまっていたショックと、歩き疲れたのとで
甘いものを食べたくなりました。
一日目の記事に引き続き、後編の記事はスターバックスから始まります。(笑)
朝と同じルートで英雄広場から中庭を抜け、
ミヒャエル門をくぐって王宮を後にしました。
ホーフブルグ宮殿の北側にあるスターバックス(ミハエラー通り店)はとても素敵な外観で目を惹きます。
ちなみにホーフブルグ宮殿のミヒャエル門前に広がる
ミヒャエル広場には馬車乗り場があり、周辺を馬車で回ることができます。
下の写真がミヒャエル広場です。
この真ん中にある小さな塀は覗き込むと
「ウィンドボナ」という、約2000年前の古代ローマ遺跡を見ることができます。
かつてのローマ帝国軍の宿営地跡で、実はウィーンの地名の起源でもあるんですよ。
このスターバックス前の道路にも馬車が通るのでパシャリ📸
馬車は基本道路を走りますが、乗用車が馬車に続く場合、馬車のスピードに合わせてゆっくり後ろをついていきます。
スターバックスはドリンクレシピが世界共通なので
日本にいる時によく飲んでたドリンクは外国にいても懐かしくなります。
(私の普段住む地域にはスターバックスがないですし😅)
この日はニューヨークチーズケーキとアイスアメリカーノを。
スタバのアイスアメリカーノ大好きなんですよね。
手引きのコーヒーミルがたくさん壁にかけられていてとても可愛らしいです。
軽く済ませてスターバックスを後にします。
・シューベルトの生家
甘いものを食べて、次に向かうのは音楽家シューベルトの生まれた家です。
ホーフブルグ宮殿から西に徒歩10分強歩き、まずは駅に向かいます。
そこから路面電車で7分ほどでシューベルトの生家目の前あたりまで行けます。
歴史地区からは外れ、穏やかな住宅街に出ました。
国が歴史的に価値があると評価された建物に付けられているオーストリア国旗の配色の旗🇦🇹がここにも。
門を入ると吹き抜けになっている庭が見えます。
右手に曲がり階段を登ると受付があります。
私以外に人はおらず、ゆっくり展示を見ることができました。
シューベルトの肖像画でも印象的なトレードマークの丸メガネもありました。彼が実際につけていたものだそうです。
そこまで広くはない部屋がいくつか並んでいるだけなのですが、彼の使用していたピアノや直筆譜など数多くの展示品がありました。
ちなみに19世紀を代表するオーストリアの作家アーダルベルト・シュティフター記念室が併設されており、彼の絵画を見ることもできます。
フランツ・シューベルトは1797年1月31日、この家に生まれました。18世紀に建てられたこの家には当時、
16家族が住んでいました。
写真に写っているシューベルトの愛用のメガネはニッケル製で、
頭に浮かんだメロディーをすぐ楽譜に書けるように、夜眠る時も外さなかったそうです。
オーディオ完備もあり、シューベルト作曲の楽曲をこの部屋で聴くこともできます。
下記二枚目の写真にある、キッチンだったらしいこの区間は彼の生まれた当時のままだそうです。
きっちりノートに日付と名前を残してきました🖋
彼の使った楽器や楽譜は本当に時間をかけて見てしまいました。
静かな空間でしっかりシューベルトを堪能して、この場を後にします。
・クンストハウス・ウィーン
シューベルトの生家をでて再び路面電車を使います。
先ほどまでいた歴史地区方面に走っていき、
さらに東に通り過ぎて向かう目的地はクンストハウス。
画家フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928〜2000)が自らの作品を展示する美術館であり、現代芸術の展覧会を催す展示センターなどもあります。
ガラスや金属、レンガ、木材、陶器タイルでできたカラフルで不規則な要素からなり、壁を伝う蔦や窓から飛び出た樹なのかなり特徴的な見た目をしています。
この建物は1991年にオープンし、フンデルトヴァッサーの作品常設展のほか、入れ替わりの展覧会場が2つ、地上階にはカフェ・レストランとショップがあります。
同じく1階には「ガレージ」があり、アーチストや独創的な人々が、画家フンデルトヴァッサーが提起した持続可能性、気象変動、再生利用、都市化などのテーマと批判的に取り組んでいます。
地下には、いわゆる「ギャラリー」があり、若手写真家の厳選された作品が紹介されています。
本当はカフェも行きたかったのですが営業時間ギリギリだったので見るだけにしました。
ここからまた歴史地区に戻ります。
・ペスト記念塔
再び路面電車と地下鉄を使いシュテファン寺院の目の前に戻ってきました。
乗り換えの途中でドナウ川も眺めることができました。
ウィーン旧市街地の有名な歩行者天国は三つ。
ケルントナー通りとグラーベン通り、
コールマルクト通り。
このうちの一つであるグラーベン(Graben)は通り、というより細長い広場みたいな印象です。
このグラーベン通りの真ん中あたりにあるのがペスト記念塔。
ペストとは昔流行った非常に致死率の高い病気で、ヨーロッパでは14世紀以降100年に一度くらいの頻度で流行しました。
ペストの一早い終息を願ったり、ペスト終息を記念する者として、ヨーロッパには各地にこういったペスト記念塔が建てられています。
ウィーンのペスト記念塔はその中でも特に有名で、かなり大きく、美しく細かな彫刻が施されています。
このウィーンにあるペスト記念塔は
1679年ペストが猛威を振るい、その終息を記念して、マリア・テレジアの祖父である当時の皇帝レオポルド1世によって立てられました。
当時は暫定的に木で作られた記念柱でしたが、
1683年に大理石にするという案が出ました。
フィッシャー・フォン・エアラッハ等を始め色々な人が関わり、最終的に当初の木製の物から14年間かけ、1693年に現在の姿になりました。
この日はこのペスト記念塔の前でストリートのテノールの方が歌を披露されていました。
■カフェ・デメル(DEMEL)
グラーベン通りを西に進み、突き当たりを左に曲がると、道の先に今日半日かけて回ったホーフブルグ宮殿のミヒャエル門が見えます。
この通りがコールマルクト通りと呼ばれる道です。
このコールマルクト通りの途中にあるのが1786年創業のカフェデメルです。
モーツァルトがウィーンで活躍していた頃、王宮の横には、旧ブルク劇場がありました。
この楽屋口のすぐ横に、ルートヴィッヒ・デーネが作ったロココ様式のケーキ屋さんが、デメルの始まりと言われています。
王宮と劇場のすぐそばという地の利を得て、
ハプスブルク家御用達ケーキ店になり人気を博しました。
その後は、ケーキ職人だったクリストフ・デメルが店を継ぎ、当時のウィーンの上流階級が顧客となります。
お店の名前は彼からとられています。
ウィーンの都市改造に伴い、劇場が取り壊されて王宮の一部が改築されたため、1887年に今の場所に移りました。
・ザッハトルテの起源
このカフェでのお目当てはザッハトルテ。
日本でも人気のチョコレートケーキ、ザッハトルテの発祥はウィーンだとご存知でしたか?
ウィーンで食べるべき、ザッハトルテの二代老舗は
ホテルザッハーの中にあるカフェ・ザッハーと
今回行くカフェ・デメルです。
ザッハトルテの起源は?と聞かれるとこの二つのカフェの名前が出てきます。
1832年に、クレメンス・メッテルニヒに仕える料理人の一人だったフランツ・ザッハーが、飽食した貴族たちのために新しいデザートを作れというメッテルニヒの要望に応え考案したのがザッハトルテです。
当時のザッハーはまだ16歳で下級の料理人にすぎませんでしたが、ザッハトルテの成功から頭角を表し、後に次男のエドゥアルトがホテル・ザッハーを開業すると、ザッハトルテはそのレストランとカフェで提供されるようになりした。
もともとホテルザッハーのザッハトルテのレシピは門外不出だったのですが、
ホテルザッハーが財政難になった際に
ウィーンの王室ご用達のケーキ店「デメル」が資金援助をし、ザッハトルテの販売権をデメルが得、さらに元祖ザッハトルテの文字をケーキに書くことも許されたそう。
もともと門外不出のレシピだったにも関わらず、その後
ハンス・スクラッチ「ウィーンの菓子店」という本にまで、秘密のレシピは掲載されてしまい、ホテル・ザッハー側が、デメルを相手取って商標使用と販売の差し止めを求めて裁判を起こしました。😅
裁判は7年続きましたが、ホテル・ザッハーにもデメルにもオリジナルレシピでの
ザッハトルテを売る権利を認める判決となりました。
しかし、デメルのものはデメルのザッハトルテ(Demel's Sachertorte)として、
ホテル・ザッハーのものはオリジナルザッハトルテ(Original Sacher-Torte)として商標が決まったそうです。
なので現在、オリジナル・ザッハトルテを名乗れるのはホテルザッハーのみとなります。
結論、起源自体はホテルザッハー。
しかし貴族御用達のデメルが財政難を助けた際にオリジナルを売る権利を得たことで、今のように古くから受け継がれるザッハトルテを売るカフェが二つあるということです。
どちらが起源であろうが、ハプスブルク家など貴族とゆかりのあるお店。どちらも本家ザッハトルテと呼べるでしょう。
この日はデメルのみですが、後日カフェザッハーにも行ったので、その際の記事で味の比較など書けたらなと思います。
・ザッハトルテ実食
やはりザッハトルテ目当ての方が多く行列でした。
しばらく待つとすぐテラス席に案内され、早速注文していきます。
メニュー下の方に"Demels Sachertorte"(デメル・ザッハトルテ)の文字を見つけました
今回は紅茶といただきます。
一番好きなセイロンを注文しました。
注文してからはすぐケーキと紅茶が運ばれてきました。
紅茶は間違えてEnglish Breakfastでしたがどちにせよ大好きなので問題なし。
それよりも日本語を見かけたことの方に感動しました(笑)
いざ実食。
大量のホイップが付いてくるので、一瞬甘さの心配をしてしまう見た目ですが、こちらは砂糖抜きの甘くないホイップです。
ザッハトルテ自体がかなり甘いので、甘さを緩和させる目的でホイップがついてきます。
目の前にはミヒャエル門。本当に間近にあります。
この後、
上の写真、前方の空席に後から座ってきたイスラエル人の方と仲良くなり合席しました。
楽しくお話しして、奢ってもらっちゃいました😓
一人旅は好きなのですが,こうやって誰かと楽しくお茶をするのも良いですね。
■ 夕方以降でも見どころ満載
・聖ペーター教会
美味しいものを食べて、もう一度来た道を引き返します。
先程は訪れたペスト記念塔のすぐ近く、少し道を入ったところに聖ペーター教会があります。
9世紀に創建されたウィーンで2番目に古い教会です。
現存する建物は18世紀にハプスブルク家の依頼によって、バロックの巨匠・ヒルデブラントの手で再建されたものです。
天井を飾るロットマイヤーによるフレスコ画「聖母マリアの被昇天」をはじめとする教会内部の内装がみどころ。
この教会ではほぼ毎日コンサートをするそうです。
コンサートもとても興味があったのですが、この後の予定もあるので少し見てすぐ出ました。
この辺りの教会にしては外観が質素なのですが、中に入るとふんだんに使われた金に圧倒されます。
コンサート開催のため入口あたりまでしか入れず見ることが出来なかったのですが、パイプオルガンの装飾にも金がふんだんに使われており、かなり豪華な見た目だそう。
・シュテファン寺院
本日最後の予定はウィーンのシンボル的存在の大聖堂。
シュテファン寺院。
建造が開始されたのは12世紀半ば。
14世紀にゴシック様式に建て替えられ、今の姿になりました。
1359年には現在も残る南塔が完成しており、
その高さは136.7mと教会の塔としては世界で3番目に高いそうです。
正面入口は中世中期のロマネスク様式、外観は中世後期のゴシック様式、そして内部の祭壇は近世のバロック様式と、10世紀から16世紀のヨーロッパの歴史そのものを象徴する構造となっています。
ハプスブルク家の歴代君主の墓所であり、モーツァルトの結婚式と葬儀が行なわれた歴史的建造物で、
市民からは「シュテッフル」という愛称で親しまれているそうです。
外観はこんな感じで、背が高すぎて画角に入りきりません(笑)
早速中に入っていきます。
実は八年前ウィーンを訪れた際もここを訪れたのですが、その時はちょうど工事中でカバーがかけられた状態しか見ることができませんでした…
ですので改めて今回見ることができてよかったです。
・内装
とても高い天井に荘厳な雰囲気。
鳴り響くオルガンの音。
何時間でも居座れそうな大好きな空間でした。
しばらくは椅子に座ってオルガンの音を聴きながら過ごしました。
主祭壇や地下墓所のカタコンベもあり、こちらは有料ですが、無料エリアからでも主祭壇には近付くことができますし、無料エリアだけでも充分かなと個人的には思います。
・登ってウィーンの街並みを一望できる南塔と北塔
シュテファン寺院にはすでに紹介した南塔と他に北塔があり、南塔は前述の通り137m、北塔は68mあります。
北塔はエレベーターで一気に展望台まで上がれて、モザイク屋根を間近で見ることができます。
南塔は北塔より高い場所から360度眺められますが、展望台までは343段の階段を登らなければなりません😅
今回はエレベーターで北塔のみ登っていきます。
時間枠が決まっていて、その時間枠内で決められた人数のみエレベーターに乗って上に登ります。
南塔の半分ほどの高さですが、写真に写る人や馬車の大きさを見ていただければかなりの高さがあることがお分かりいただけるかと思います。
東側にはシュテファン寺院の大きな特徴の一つ、
モザイク屋根があり、この北塔からは間近で見ることができるんです。
このモザイク屋根は
オーストリアの国章とウィーン市の紋章、
反対側にはオーストリア・ハンガリー帝国の双頭の鷲がなんと23万枚ものタイルで描かれています。
1950の数字は第二次世界大戦の際に被害を受けた教会を修復した年です。
北塔には低い音の大鐘という意味の「プンメリン」と呼ばれる鐘があります。
ヨーロッパで二番目に大きい鐘で、
現在でも大切な日には鳴らされている鐘だそうです。
初代の鐘も第二次世界大戦の際被害を受け、こちらは作り直されたものなので二代目になります。
夕方から夜にかけての景色が見たくて、この日わざわざ遅めの時間を狙ってシュテファン寺院にきました。
と言ってもサマータイム期間中ですし、夏場なので日没が遅く、完全な夜まではいる事ができませんでしたが、とても綺麗でした。
既に記事に出ている画角の写真ですが少し日が落ちかけている時の写真も載せておきます。
南塔の先っぽも見えます。
しっかり堪能して聖堂内に戻ります。
大聖堂の雰囲気に圧倒されすぎて、
またしばらくの間ここで過ごしました。
出入り口にはシュテファン寺院のミニチュアも。
・夜の外観
外に出るともうすっかり日が落ちていました。
夜に見るシュテファン寺院もとても綺麗です。
■晩御飯はウィンナーシュニッツェルを
前日に食べることができなかったウィンナーシュニッツェルを頬張るべくレストランに向かいます。
前日と同じ轍を踏まないよう、事前の下調べバッチリで行きました(笑)
今回のお店は"Restaurant Müllerbeisl"(ミュラーバイスル)
すごくフレンドリーな店員さんが
可能な限り知っている日本語を使って積極的にコミュニケーションをとってくれました。
ウィンナーシュニッツェルはありますか?と質問すると、元の素敵な笑顔がさらに満点笑顔になって
「あるに決まってんじゃん!うちのシュニッツェルはウィーン1なんだから!」と答えてくれました。
こういう暖かな歓迎はいつ受けても嬉しいものです。
今回は店の目の前のテラス席で夜風に当たりながらご飯を食べます。
・シュニッツェルとは?
シュニッツェルとはドイツ、オランダ、オーストリアの肉料理で、仔牛のヒレ肉や赤身肉を叩いて薄く伸ばしてカツレツにしたものです。
その中でもウィーン風のものをウィンナーシュニッツェルと呼びます。
イタリアの「ミラノ風カツレツ」とよく似ています。
起源は北イタリアで、15世紀にウィーンに伝わったという説。または18世紀にオーストリアのラデツキー将軍が、北イタリアの独立運動鎮圧の際にミラノからレシピを持ち帰ったともいわれ、諸説あります。
ドイツではおもに豚肉のカツレツにいろんなソースをかけて食べたり、また豚肉を食べないイスラエルは七面鳥のシュニッツェルがポピュラーなんだそう。
このようにお肉に決まりがないため、オーストリアの大衆レストランでも安い豚肉を使うことが多くなっていますが、メニュー名に豚や鶏などを明記するよう国から義務づけられるほど、国民的な人気料理として認知されています。
・いざ実食
運ばれてきた美味しそうなウィンナーシュニッツェル。
付け合わせはジャガイモとお野菜。
かなりの大きさですが薄くて食べやすいのと、ただひたすらに美味しくて楽々ぺろりと平らげてしまいました。
シュニッツェルは薄く伸ばした肉をサッと油で揚げるだけなのでそこまでしつこい油っこさもなくとても食べやすかったです。
やっと食べれたウィンナーシュニッツェルに満足して帰路に着きます。
美味しくて店員さんの暖かな対応が素敵なこちらのお店は本当にオススメです。
■二日目の終わりへ
次の日はお昼から移動してしまうので、これがウィーン最後の夜です。
名残惜しさを胸に帰路に。
ウィーンの各所にある歩行者様信号機はカップルが描かれていてなかなかかわいいデザインをしています。
こちらはオペラ座前の信号機。
ここからトラムでホテルに戻ります。
オペラ座から先ほど訪れたシュテファン寺院を結ぶ大きな道が、一番このあたりで大きい歩行者天国、ケルントナー通りです。
オペラ座からでもシュテファン寺院の南塔を見ることができます。
次の日に備えてこの日もホテルに帰ってすぐに寝ました。
この翌日からは同じオーストリアのザルツブルグに移ります。
ではまた次の記事でお会いしましょう。
三日目 前編の記事はこちら⏬
※営業時間等は2021年10月現在のものです。
変更の可能性もありますので正確な時間等は
公式サイトでご確認ください。
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