【まくら✖ざぶとん】①⑧②『映画曜日』映画短評➋〈ヤクザと極道〉
えー、えらい早いもので暦は弥生、睦月・如月と一月に一席ずつじゃ今年も二百席まで届かないとくりゃ、いっちょここらで高座に上がるペースを上げてかなきゃならぬ、てなわけで此度は久々に映画を題材にした一席をば。
書評なり戦評なりのサ行を載せる別垢もあるにはあって、なんなら前回に倣って鑑賞記録アプリのリンクを貼っつけときゃ済むっちゃ済むがそれもまた味気なし、同じ時期に公開された同じ題材を扱う邦画をまとめて観た日くらいはまくらで比較・分析してみるのも有り寄りの有り。
尺度となるのは、物語性を孕むあらゆる作品に問うべき「起承転結」における〈守破離〉。起・承の過程では、一定の形式・様式(=セオリー)を守ることで観る者を安心させて作品世界に惹き込む。転までに自分の色を織り混ぜて観る者に想定させた典型・類型を破る。結で守っていた様式から完全に離れて作品の独自・独立性(=オリジナリティ)を観る者の中に確立しきる。セオリーを踏襲しながらオリジナリティを混ぜ込んでいく〈セオリジナリティ〉とここで呼んでみるものこそ、物語的ものづくりに必要なものさし。
先に観たのが『ヤクザと家族 The Family』、社会派を匂わすべく時代の変遷を追いながら「ヤクザ」・「家族」という題材で作るなら…という設定で思い描いた絵巻物の筋書きを徹底的になぞって彩色していく〈塗り絵〉。起・承どころか転、結に至るまで筋道を「死守」する守り一辺倒の防戦一方が透けて見えさせたのは脚本のご都合主義。出所後に自分の子供を産んでいた恋人と再会するのは手垢まみれのお約束、盃を交わした家族と授かりが絡んだ家族の間で揺れ動く「反復横跳び」もなきまま足抜け出戻りご自由に、「時代が変わった」と連発させるわりに悲しいかな蛙の子はしかしただの蛙、物語の行方を決定づけるSNSのくだりも取って付けたように安易安直、破りも離れもしないまま破れかぶれになって暴力に振り切らせては物語性だけでなく人物像までペラペラ薄っぺら。名は体を表すとも云うが、本来は軽々しく用いにくいはずの言葉をタイトルに持ってきた『ヤクザと家族』で作品を説明しきってしまっているあたり、看板には偽りなし!
後に観たのが『すばらしき世界』、こちらは一人の人物を構図のド真ん中に据えた肖像画で、エピソードという絵の具を一色、一色、厚ぼったく塗り固めていった〈油ら絵〉。絵筆のタッチに見られる作為的なクセはユーモアの湿り気でぼかしつつ、「一匹狼」や「十犯六入」といったキーワードで善悪を分ける余地と余白を際立たせ、具象(映像で提示する事実)と抽象(脚本で仮定する真実)が入り混じる画面(人物像)の中で浮き彫りにされたのは説得力。〈塗り絵〉で描かれたのが「ヤクザ」なら、〈油ら絵〉が滲ませたのはそれより深くて重たい文字面の「極道」。ひとたび極まりかかった人間がカタギ、つまりは中庸な集団の一員になれるのか…起承から一貫して淡々と、しかし画面には色濃く塗り重ねた(元に戻るか先に進むかの)「反復横跳び」によってどちらに転んでも納得できるよう切り取り線を入れておけばこそ、ビリビリに破り捨てるパターンとギリギリで繋ぎ留めるパターン双方を提示しながらプッツリ。と切り離して見せたわけ。
短評とあらばオチも真面目に、両者を比較・分析した結論は以下の通りに、
物語を紡ごうとすると人間がいつしか疎かになり
人間を描こうとすると物語はおのずと豊かになる
えー、「一字千金」という故事ことわざもありますが、【まくら✖ざぶとん】を〈①⓪⓪⓪文字前後の最も面白い読み物〉にするべく取り敢えず①⓪⓪⓪作を目指して積み上げていく所存、これぞ「千字千金」!以後、お見知りおきを!!