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1995年のバックパッカー 

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1995年。写真家の藤代冥砂は突然仕事を辞め無職となって世界一周無期限の旅に出た。27歳。当時新進カメラマンとしてミスチルのCDジャケットを撮影するなど注目されていたが、約束され…
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#香港

1995年のバックパッカー15 香港4 さらばドラゴンシティ!悪いけど次があるから。

1995年のバックパッカー15 香港4 さらばドラゴンシティ!悪いけど次があるから。

ちょうどスプレンディッドアジアへと戻ろうとしていた時に、同宿のインド人バスさんが通りがかったので、そのままおビールでもと誘った。僕は彼をチュンキンマンション内にあるフリースペース的なテーブルと椅子の席で待つようにと彼に伝えて、一旦スプレンデッドアジアのドミトリーに戻ってから、すぐに合流した。

気の利くバスさんはすでに缶ビールを2本用意してくれていた。僕たちはそれで乾杯した。そして数時間前に買った

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1995年のバックパッカー14  香港3 才能開花。勝ち続け、そしてギャンブルは続く。

1995年のバックパッカー14 香港3 才能開花。勝ち続け、そしてギャンブルは続く。

僕とチャーリーはパンパンに膨らんだ金銭欲と勝負師魂のようなものを持って、彼の安宿へと帰還した。ブルネイ人はまだ戻っていなかった。
約束の1時間後はすぐに訪れ、そして2時間後を経過し、少し焦り始めた頃の3時間後にブルネイ人は戻って来た。もしかしたら例の中国美人との約束を果たしていたのかもしれなかったが、戻った時のブルネイ紳士のやたら真剣な表情のせいもあって、それは聞けなかった。
僕とチャーリーは、待

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1995年のバックパッカー13  香港2 善意と欲望とギャンブラー

1995年のバックパッカー13  香港2 善意と欲望とギャンブラー

それは、1995年の5月5日金曜日の出来事だった。

チュンキンマンション、スプレンディッドアジアのドミトリーで10時に目覚めた僕は、早くも馴染み始めた香港の街をゆったり歩き、木陰の多い九龍公園のベンチでくつろいでいた。

そこへ小柄で目の大きい東南アジア系の男が、屈託のない笑顔を浮かべながらやって来て、僕のすぐ隣に座った。歳は35くらいだろうか。その男はチャーリーと名乗り、初対面の外国人通しが交

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1995年のバックパッカー12  香港1           巨大な龍の街とドミトリー

1995年のバックパッカー12 香港1  巨大な龍の街とドミトリー

香港へ降り立つと、久しぶりの陸地の感触に浸る間もなく、僕はそそくさと歩き始めた。

フェリーのレストランで同テーブルだったカナダ人の老夫婦が安宿への道案内をかってくれたので、黙ってついていった。のんびりとしたフェリーの上とは違って、巨大な生物のような蠢きが香港にはあって圧倒された。十数分で到着したチュンキンマンションと呼ばれる巨大な雑居ビルは、ヨドバシカメラ新宿西口本店を思い出させた。もちろんチュ

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