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1995年のバックパッカー 

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1995年。写真家の藤代冥砂は突然仕事を辞め無職となって世界一周無期限の旅に出た。27歳。当時新進カメラマンとしてミスチルのCDジャケットを撮影するなど注目されていたが、約束され…
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2024年8月の記事一覧

1995年のバックパッカー19 中国9 成都ーラサ 三国志とジャーマン・ガールズ、そしてチベット

1995年のバックパッカー19 中国9 成都ーラサ 三国志とジャーマン・ガールズ、そしてチベット

成都2日目は、ほぼ一日中カタリーナとココと過ごした。アーミーサープラスショップへ行くと2人が言うので、軍モノファンの僕もついていくことにした。

その店は中国軍モノだけを扱っていた。アメリカやNATOに属している国々製品がないのは分かるが、同盟のロシアやベトナム軍のモノまで無いのは物足りなく感じた。だが、中国軍モノがけっして悪いわけではなく、素朴だが質はまあまあだし、よく言えばデザインもシンプルだ

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1995年のバックパッカー18 中国8 阻朔ー成都 ライドライドライドの女の子 

1995年のバックパッカー18 中国8 阻朔ー成都 ライドライドライドの女の子 

阻朔もそろそろ潮時かなと思えてきたある日、僕は相棒のデンマーク人、マイケルと福江にでかけた。中国の田舎を今一度ゆっくり巡っておこうと思ったからだ。

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1995年のバックパッカー17   中国7 阻朔に輝く月 。そして、男と女の「行く、来る」物語。

1995年のバックパッカー17  中国7 阻朔に輝く月 。そして、男と女の「行く、来る」物語。

阻朔(ヤンスウ)での相棒はデンマーク人のマイケルだった。いつもサッカーのシャツを着ていて、どこのチームかは聞かなかったが、おそらくデンマークのものだろう。

月亮山から戻り、ホテルで寝ているとそのマイケルが訪ねてきて、夕食に誘われた。いい店があると言う。連れて行かれた先はミッキー・マオス・カフェだった。ユーモアの効いたネーミングだが、政府に目をつけらていないことに感心した。マオは言わずと知れた毛沢

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1995年のバックパッカー16 中国6 広州ー桂林ー阻朔 列車に揺られどこまでも

1995年のバックパッカー16 中国6 広州ー桂林ー阻朔 列車に揺られどこまでも

1995年の6月。僕はさまざまな思い出と共に香港を去った。そして次の目的地は桂林だった。

桂林を選んだのは単純な理由だった。あの世界的に有名な山水画のような絶景を見てみたかった。のどかな田園風景から突如そそり立つ山々の凸凹は、調和というよりも神様が不機嫌な時に適当にこさえたかのようだった。そしてそのへんてこりんな風景の中に自分を立たせてみたかったのだ。

最初の大きな中継地は広州で、もちろん初め

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