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桜の花びら舞う季節、再びあなたに会いにいく

土曜日、お昼の14時台に家の電話がなった。

この時間帯に、電話がかかってくることは珍しく、ナンバーディスプレーを見た旦那がすぐに電話をとる。

声の調子や、対応の様子から、誰からの電話で、何かよからぬことがあったことはすぐにわかった。

旦那が電話を切ったあと、義母の兄が亡くなったことを聞く。

結婚してから、叔父さんはいつも帰省すると私に優しくしてくれた。

帰省する時は必ず、叔父さんの家を訪問した。

叔父さんは義母の兄だが、奥さんは義父の妹という家なのだ。

家の中には数匹の猫がいつも歩いていて、旦那のフィールド内でのアウェー間に緊張する私には癒しの存在だった。

北海道に来たんだから美味しいものを食べて」と高級寿司をいつも注文してくれた。

そして、帰る時は、いつもお土産にと鮭と私の大好物のいくらを持たせてくれた。

義母は荷物になるから、後から送っておくからといつも言ったけれど、いくらが送られて来たことはいくら待ってもなかった、旦那はいくらが嫌いだ。

私達が結婚した時は、叔父さんの家は北海道の松前町というところにあった。

海、松前城も歩いてすぐの場所で旦那は生まれ、叔父さん家族と、祖父母の大家族で小学生まで暮らした場所。潮風の薫りが漂うとても素敵な町だった。

叔父さん達も歳をとり、函館市内の義実家の後ろの家が空き家となり、そこに引っ越した。

私達夫婦は日本を離れて、アメリカで暮らしたりで2年に1度くらいしか会えなかった。

最後に私が叔父さんに会ったのは4年前。いつものようにテレビの時代劇を見ていたが、体を悪くしてお酒は飲めなくなったと言っていた。

昨年の10月に旦那と娘は帰省して、叔父さんには会ったが、以前の姿とは見る影もなく痩せてしまって、自分で立てない状態だったと言う。

その時にすでに最後になるかもしれないと、叔父さんと旦那と娘で写真を撮った。

旦那に後日、その写真を見るか?と聞かれたけれど、現実から私は目を背けてしまった。

目を背けてしまったのは、一緒に帰省することもだ。

旦那そして義両親とのいろいろなことが積み重なって、どうしても昨年は私は一緒に帰省する気持ちになれなくて、一人だけ行かない選択をした。

昨年は私たちは結婚20周年という節目な年で、結婚式も挙げた思い出の地、あの教会にもう一度行き、気持ちも新たな出発をしたかった。

そして叔父さんご夫婦にも会いたかった。

でも、いろいろなことが自分の中で消化できなかった。

あの時、会っていた方が良かったかなと、一瞬訃報を聞き思ったけれど、あの時に行かないことは、私のベストな選択だったと今でも思っている。

今、叔父さんのことを思い出してみようとすると、旦那の生家で、時代劇を見ながら、お寿司を食べて、「こんな時じゃないとお酒をたくさん飲ませてもらえないから」と日本酒片手に笑顔だった、しゃがれ声の叔父さんが思い出される。

私、夢があったんだ。桜の満開の季節に松前城の桜まつりに行くこと。

娘がまだ歩けない時に一度行ったけれど、桜の季節には少し早かったから。

今年のゴールデンウィークには、ちょうど見頃になるかな、訪れてみようかな。

そして叔父さんが大好きだった日本酒を持って会いに行き、今までの感謝の気持ちを伝えたい。

今までありがとう、あなたの存在が
私にとってどれだけの救いだったでしょうか、再びあなたに会いに来ましたよ

突然の訃報が飛び込んで来た、土曜日でした。

ずっと体調が悪くて、義母も看病などをしていた話は聞いていました。
でも、また、会って話はできる、話しができるうちに会いに行かなくてはと思っていました。

ある程度の覚悟が出来ていた別れでしたが、別れはいつも辛いです。

昨日は私たちの結婚式の写真を見返してみました。

私達もですが、全ての人が若くて、良い時代だったとしみじみ思います。

この記事は昨晩書いたのですが、今朝起きて、いつも楽しみにnoteを読ませていただいているオラヴ153さんとcoucouさんという二人のクリエイターさんの投稿を読みました。
今の私の気持ちにとても響きました。

ありがとうございます。


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