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「母の日」という母親への感謝を強要される日

今年もこの季節がやってきた。
私が大嫌いな行事の一つ『母の日』である。

母の日自体は来月なのだが、桜が散った頃になるとあちこちのお店のから母の日のプレゼント案内のDMやチラシが届き、母の日セールが開催され、母の日用のプレゼントコーナーができ、母の日の贈り物セレクションの特集がされ、もちろんテレビでもラジオでもネットでも母の日の広告や母の日のCMが流れる。

メールでは「母の日」というワードはブロックor即ゴミ箱行きに設定してあるし、SNSでも「母の日」というワードはミュートしてる。だがそんなことはお構いなしに街中に溢れる「母の日」の広告や商品。
本当に不愉快だ。

どんなクソみたいな母親でも感謝を示してカーネーションの花を贈らないと世間からは人でなし扱いされるのだ。

父の日ならなんとも言われないのに母親に感謝しないというのは非人道的な行為とみなされる。

小さい頃は私もまわりや母の日の商品戦略に流されてカーネーションの花やケーキなどを母親にプレゼントしたが、カーネーションの切り花を贈れば「切り花なんてすぐに枯れる、なんで鉢植えじゃないんだ、バカじゃないの!!」と言われ、鉢植えのカーネションを贈れば「赤い色は嫌い!!」と言われ、ピンク色の鉢植えのカーネーション贈れば「花なんかより美味しいものが食べたかった!!」と言われ、隣町にまで行ってケーキを買ってくれば「そんなの要らない!!!!」とキレられ、何も贈らなくなったら「母の日なのにウチの子供は何もくれないし感謝もしない!!!私はなんて不幸なの!!!」と盛大に悲劇のヒロインぶってきた。

「子供が〇〇しないせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」「子供のせいで私は不幸」

……と1日中付け回され、その後もずっと「〇〇ちゃんのお母さんは母の日にプレゼントをもらったのに」「母の日なのにウチの子は何もくれなかった。私はなんて可哀相なのかしら」「うちの子は親不孝」とネチネチネチネチ娘にも親戚にも言い続けている。

親不孝な子供に育てたのは誰か。なんで自分が感謝されないのか考えたことはないのか。子供は無条件に母親に愛情を示す愛玩動物だと思っているのか。

プレゼントを贈っても毎回違う理由で文句を言われキレられ母が喜ぶ正解も無く、プレゼントを贈らなければ贈らないで文句を言われる。どちらでも文句を言われるなら何も贈らないほうがいい。プレゼントだってタダじゃないんだから。

ちなみ私には兄と弟がいるがこうやって当て付けがましく付きまとうのは娘である私にだけだ。

さらに最近では「こども日」=「お母さんに感謝する日」という風潮まである。どこまで子供に感謝を要求するんだ。

いつの間にか作られた「2分の1成人式」とかいう馬鹿げた行事も「親への感謝の強要」イベントの一つだ。母に感謝の手紙を書いてすぐに母親に殺された子も、男と再婚するのに邪魔だからという理由で母親に捨てられた施設の子もいるのに、「感動」イベントとして今も全国で行われている。親が気持ちよくなるために子供に感謝を強要した感動ポルノイベントの一体何が感動なのだ。強要されて差し出された感謝になんて反吐が出るものに、よく感動出来るなと軽蔑の目で見ている。「感謝される」ということに飢え過ぎてて作り物だろう強要して作らせたものだろうとなんだろうとなんでもいいから食べたいのだろうか。大人の飢えを満たすために搾り取られる子供が可哀相だ。そもそも普通の幸せな家庭の子供ならわざわざこんなイベントを開催しなくても日ごろから親に感謝してるだろう。

Q・それは誰が気持ち良くなるためのイベントですか?

行事ではないが私の地元を含め同県の一部の地域では平日の夕方に「小学生から町内の大人の皆さまへの日頃の感謝のスピーチ」が町内放送で流れる。狂った地元だけかと思ったら同じ県の他の地域でもやっているのをyoutubeの動画内でみて戦慄した。(全く関係ない動画の撮影中に偶然流れた。)

ただでさえ子供の声というのは「騒音」に分類されるものだ。
保育園の声が煩いとよくトラブルになったニュースが流れているだろう。
それなのに子供の朗読によるスピーチを毎日大音量で町内中に流すという。

これを素晴らしい発想・素晴らしいイベント・街としての良い取り組みだと思っているのだろうか。膿化脳が。現に都会ではこんな気の狂ったことはやっていないだろう。都会じゃなくても大半の地域はやってないと思うが。

強者である大人へ弱者である子供からの感謝の強要、パワハラが、大人の自尊心を満足させるために小さい子供相手に行われているのだ。

地元住民の多くは65歳以上の年寄りだ。
職もなく金もなく友もなく家族(という名の奴隷)もなく、自分を慰めてくれるのは見ず知らずの小さな子供から強制的に搾取した感謝の言葉。

私の小学生時代にこれ(地元の大人の皆さまへの感謝のスピーチ放送)がなくて本当に良かったと思うが、今の子供が可哀相でならない。生まれたら無条件に地元の大人(老人)への感謝を搾取され続けて。大人になるまで孤独な老人のオナニーのためのオカズとして利用されて。


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