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親からも学校からも社会からも見捨てられた子

Yちゃんの話。

小学校・中学校と仲のいい友人がいた。親友と言ってもいいだろう。
色白でガリガリのひょろひょろの痩せっぽちで着ている服もいつも薄汚れてボロボロ。

当時の私の恰好も「お下がりのお下がりのそのまたお下がりの男物」みたいなものだったが、その私からみても「随分汚れた服だな……」と思うほどに酷かった。冬は上着を着るがそれ以外はずっと同じ服を着ていたんじゃないかと思う。

明らかに問題のある家の子だと思うが小学生の頃はそこまで理解が及ばなかった。ただ、お互いに家庭のことや家族のことを口にしない・聞いてこないので一緒に居て楽だった。

遊ぶお金もないので二人でよくその辺のプリント用紙の裏に絵を描いていた。彼女は絵が上手かったので描いて欲しいアニメや漫画のキャラクターをリクエストをして色々な絵を描いてもらった。

中学生になって制服になったのでお互いにボロボロの服からは解放されたが、だからと言って家庭環境が改善したわけではなかった。ただ単に見えにくくなっただけ。それでも制服というまともな服を毎日着ていられることは嬉しかった。

中一のとき、放課後に保健室にある機材で身長と体重を測ったら
彼女は身長164cm、体重は制服(冬服)の重さ込みで39kgだった。

そんな彼女が中学2年生になって不登校になった。

教師が家に何度電話をかけても繋がらないので家庭を訪問したのだが、彼女は激怒し、その日以来、放課後に学校の職員室に来ては「先生、私学校に来たから出席にしておいてね」と言ったり、お昼前ごろに登校して別クラスの私のところへ来て休み時間の間だけ話をしたあと、すべての授業が終わるまで屋上前の階段の踊り場で寝て、放課後はやはり職員室に行って「登校したから出席にしろ」と言って、帰って行った。

なんでそんなことしてるのかと聞いたら
「だってこうしないとアイツ(担任教師)家に来るんだもん」と。

毒親家庭の子供は家の事情を外部に知られることを嫌うし恐れる。
どんな酷い境遇だったとしても、彼女も、家族や家庭のことを他人(教師)に知られたくなかったのだろう。

中学二年だった当時のYちゃんのクラスの担任教師は何度も彼女の家に電話を掛けたり、家庭訪問したり、人が出てくるまで自宅前に居座ったりしたが一度も親とは会えなかったらしい。それでもまだこの担任教師は生徒のことを気にかけてる時点で良い教師の部類に入る。

中学三年の時は小学生のときぶりにYちゃんと同じクラスになったが、相変わらず放課後登校を続ける彼女に対して中三の時の担任は何もしなかった。

それ以前にその担任教師のメンタルが不安定で授業中に突然泣き出したりしては生徒に慰めてもらうような状態だった。受験生だっていうのに泣きたいのはこっちだ。

ちなみに私とYちゃんが中三で同じクラスになったのは、「仲の良い〇〇(私)と同じクラスにすればYも登校するかもしれない」という教師達の相談の結果らしい。

中学3年生になっても、彼女はやはりまともに学校に来ることもなく学校に来たとしても放課後か休み時間。放課後職員室に行って出席に扱いにさせたあと教室でお喋りをして校門の施錠時間になる前に教師に解散させられる。

そんな生活を続けていたが彼女が11月になる頃にには学校に来る回数はどんどん減って行き、彼女は高校受験をすることもなく、進路未定のまま卒業式にも出席せずに卒業扱いとなった。

彼女はクラスメイトからも教師たちからも「どうしようもない非行少女」「ヤンキー」という扱いになっていた。

中学卒業後、彼女は暫くは同じ町内に住んでいたが、その年の冬が来る前に姿を消してしまった。

当時は携帯電話も普及しておらず、自宅電話もつながらない。
さらに小学生のころから彼女は公営住宅を転々としていたのでどこに住んでいるのかもわからない。

中学卒業後も近所に住んでいることを知っていたのは、高校生になった私の通学路にある自動販売機の前に彼女が居て、下校時に時々会っていたから。

彼女は高校の制服を着た私のことをどんな気持ちで見ていたんだろうか。


後に知ったことだが、彼女の父親はアル中の酒乱で家族に暴力を振るっていたこと。彼女の一つ下の妹が中学生になったとき、母親が子供と旦那を残して蒸発し、その代わりに家には父親のお世話をする女が住み着いていたこと。家に居場所がないので夜は外を歩き回って昼は学校の誰もいない場所で寝ていたこと。食事は父親の財布からお金を盗めたときだけ。

授業料は未払い、給食費も未払い、家庭科や技術(図工)の授業に使う道具や材料は買えないし、基本の五教科の勉強に必要な文房具ですら買えない。
小学生の頃から「忘れ物が多い」と注意されていたが、忘れ物が多いのではなく「買えない」から持ってこれなかったのだろう。
当時彼女の住んでいた家から中学校までの距離は片道4kmくらいあったと思うが、通学用の自転車も無いので徒歩だ。

生理用品だって買えなかったのだろう。
そもそもあのガリガリの体形で生理が来ていたのかどうかもわからない。

とても勉強なんて出来る環境じゃない。

こんな彼女のことを大人たちは「不良」だの「アイツと関わるな」だの「馬鹿が移る」などと言う。

非行とは何だろうか。

彼女の家庭事情のことは彼女が以前住んでいた場所の近所に住む大人達の井戸端会議で聞いた。
大人たちはみんな彼女の家庭事情を知っていた。
知っていて誰も彼女を助けなかった。

そして私も彼女の境遇を知っていても助けられなかっただろう。
だって私も子供だったから。
子供は無力だ。
私自身のこともどうにもできないくらいに。
自分のことで精いっぱいなのに誰かを助ける力なんてない。
そもそも私も助けてもらいたい側の人間だ。

だからと言って大人が助けてくれるわけでもなく

卒業したら中学校は無関係。
義務教育は終わってる。
15歳なんだから働けばいい。
自分で何とか出来るだろう。

と見放した。

親にも学校にも社会にも見捨てられ

そうして彼女は消えていった。


これを読んで「昭和の話」と思う人もいるだろうが
これは平成の、西暦2000年代の話だ。



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