Mei

現在、サウジアラビアのリヤドに住んでいます。 そろそろ、自分の歴史を振り返ってみたいと…

Mei

現在、サウジアラビアのリヤドに住んでいます。 そろそろ、自分の歴史を振り返ってみたいと思い、 noteを始めました。 自分の経験したこと、思った事、文章にできると良いなと思っています。

最近の記事

書きかけの手紙

部屋にある紙類を終活しようと思っている。 とにかく、紙が多い。 もし私がいなくなったら、この紙たちは、ただの紙切れで、 捨てられるだけ。 それならば、自分で決着をつけたい。 あっちこっちから紙を引っ張り出していたら、書きかけの手紙を見つけた。 10年以上経っているだろうか。 大学時代の恩師へ出そうとしていた残暑見舞いの手紙だ。 タイムカプセルのような感じがした。 これと言って何もないたわいのない文章。 海外で住むようになって、率直に感じたこと、 変わり映

    • 被災地、わたしたちはこう過ごした。 神戸④

      近くにある商店街のあたりから、火が出た。 じわじわと火が移ってくる。 消防車は無い。水も出ない。なす術がない。 比較的、大きな商店街が、燃えていく。 車庫として使っていた家は、ペシャンコにならずに 立っていたけれども、一階のシャッターの支柱を外すと 崩れ落ちるだろうと思った私は、 車を出さずにそのままにしておいた。 商店街の火から、一町分離れていたし、 広い道路を挟んでいるので、火は来ないと思っていた。 時間が経つにつれ、火は、商店街の端から端までを焼き尽

      • 被災地、わたしたちはこう過ごした 神戸③

        家の前から、全体を眺めると、斜めに傾いている。 連なった4軒の一番端の家は、路地に面しているので、 一番傾きが大きい。 家に帰ってきた父が、長い木の棒を運んできた。 その木で、路地に面した一番端の家につっかい棒をした。 長い木は、倒壊した家屋から拝借してきたらしい。 もうぺっしゃんこの家だから、利用させてもらった。 少し申し訳なさを感じるのか、 「ちょっと借りるで。許してなー。」 とちゃんと言ったでと、父が言った。 3本の木で、なんとか4軒家の傾きは、止まっていた。 隣人

        • 被災地、わたしたちはこうして過ごした 神戸②

          1995年1月17日早朝5時46分、 自室で寝ていた私のおでこに、ドンという突き上げられる衝撃と共に 目覚まし時計が落ちてきた。 びっくりして体を起こした瞬間、家ごと激しく横揺れし始めた。 まるで、何か大きなものに、家を掴まれて、激しく振られているような。 家がギシギシ鳴っているのが聞こえた。 15秒近く揺らされ、動くこともできず、ただ布団をつかんでいるだけだった。 そして、揺れが止まった後の シーーーーンとした静寂。 あんな静寂、今まで経験したことがなかっ

        書きかけの手紙

        • 被災地、わたしたちはこう過ごした。 神戸④

        • 被災地、わたしたちはこう過ごした 神戸③

        • 被災地、わたしたちはこうして過ごした 神戸②

          被災地、わたしたちは、こうして過ごした 神戸

          2024年1月1日、お正月。 能登半島地震は、お正月気分を一気に吹き飛ばし、 突然やってくる災害は、 もう日本のどこにいても避けられないんだと、 実感させられた。 こんなに発展した現代においても、 災害の前では、私たち人間は無力であることを 思い知らされ、どん底に落とされる。 それでも、私たちは前を向く。 歩もうとし始める。 そうするしかないことを感じ取る。 一瞬にして、奪われてしまう日常は、 29年経っても、忘れられないほど 脳の中に組み込まれてしまうものなんだな。 その

          被災地、わたしたちは、こうして過ごした 神戸

          振り返ってみるのは、ある年齢になると、必要なんじゃないかな

          そう思ったのは、還暦を迎えてからだ。 還暦っていうと、 かなりの重みに感じるかもしれないけれど、 当の本人の精神年齢は、それに追いついてなくて、 20代30代のまま。 見た目や、身体能力は、やはりそれなりに変わっているけれどね。 けれど、やはり、脳の方が、年齢と共に変化するのは確かだ。 今のうちに、何かしらの形で残しておくのもいいか、と思った次第だ。 生きてきた時間を後悔するのではなく、記録だ。 ただの一人の人間の一記録、自己満足以外何物でもないが、 記憶

          振り返ってみるのは、ある年齢になると、必要なんじゃないかな