見出し画像

サウジアラビアでの生活の始まり

わたしがサウジアラビアにやって来たのは、今から28年も前のこと。
阪神・淡路大震災を経験して、1年と半年が経ってからのことだ。

以前から結婚の約束をしていた彼(今の夫)が、震災の見舞いを兼ねて
挨拶に来た。結婚しますではなく、わたしはサウジアラビアに行くよと
いうことを、両親に伝えるためのパフォーマンスだった。
お願いではなく、決定事項だった。
わたしはいつもこうだ。自己決定しすぎる。
被災した実家が再建できたら、サウジアラビアに行こうと決心していた。

夫は、先に日本を出国して、フィリピンのマニラに滞在、私があとで合流した。
3週間マニラに滞在したあと、やっとこさ、夫の尻が上がった。
今思えば、夫には、私という結婚相手を、いよいよサウジアラビアに連れて行き、
家族に合わせるという大役にかなりのプレッシャーがあったのだろうと思う。

見ず知らずの国から、いきなり妻がやってくるのだから、夫の家族も、
どんな感じだろうと構えていたに違いない。

すでにわたしは、イスラム教徒に改宗していて、おおよその事柄は、
理解していたけれど、実際、夫にマニラにあるイスラム教徒街で、
臨時のアバーヤ(イスラム教徒の女性が着る黒の外衣)と黒のスカーフ
を身につけるように強要されたときは、きたきた、これがイスラムだと
実感させられた。
しかも、サウジアラビアに到着寸前には、
顔まで全部覆いなさいと言われて、なんて歩き辛いんだと率直に思った。
全く、前が見えないのだから。

夫の実家は、サウジアラビアの東部州、アルコバルという市にあった。
東部州は、湾岸沿いにあるので、海がある。
大きな都市ではなく、小さ過ぎることもなく、とても綺麗な街だ。
マニラから直行便でダハラーン国際空港に到着して、
初めてサウジアラビアの地に降りたった。

空港には、義理のお母さんとメイドさん、そして、夫の小学生高学年くらいの
甥っ子が数人、出迎えてくれた。
日本から、叔父さんの奥さんがやって来るというので、わざわざ、迎えに来てくれたんだろう。顔を、ベールで完全に隠していたので、逆にびっくりしていた。

空港から実家までは、車で15分ほどの距離だったので、わたしは、びっくりした。
こんな近くに国際空港があるんだと。

家について、初めて、お義母さんに顔をお披露目して、挨拶した。
もちろん、お義母さんは、英語がわからないけれど、夫が、ひととおり
紹介してくれて、しばらくは、夫が色々サポートしてくれるだろうと思っていたのに、夫は、すぐにどこかへ行ってしまった。
お義母さんと、わたし、二人だけが、部屋に残された。
言葉も通じないんもの同士が、何も話せないまま、その空間にいた。

お義母さんは、キャビネットから、ロングライフの200mlのミルクパックを
くれた。
シュクラン(ありがとう)というのがやっとだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?