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被災地、わたしたちはこう過ごした。 神戸④

近くにある商店街のあたりから、火が出た。

じわじわと火が移ってくる。

消防車は無い。水も出ない。なす術がない。

比較的、大きな商店街が、燃えていく。

車庫として使っていた家は、ペシャンコにならずに

立っていたけれども、一階のシャッターの支柱を外すと

崩れ落ちるだろうと思った私は、

車を出さずにそのままにしておいた。

商店街の火から、一町分離れていたし、

広い道路を挟んでいるので、火は来ないと思っていた。

時間が経つにつれ、火は、商店街の端から端までを焼き尽くしていた。

大きなアーケードが売りだったこの商店街のそれも、

溶けて崩れ落ちた。

わたしの知っている風景ではなくなった。

一面、焼け野原になっていた。

こんな現代において、こんな情景を見ることにんあるなんて、

考えたこともなかった。

膝の力が抜けた、何なんだこれは。

そして、車庫とその住居は燃えてしまっていた。

ここまで火が来てしまった。

車は、焼けていた。

こんなことになるとは。

諦めしかなかった。脳に情報が行き、悲しみや後悔やら、

そんな感情を司る脳の部分には、届かない。

目の前にある情景を、目でシャッターを切っているだけだった。

感情にさえ、届かないほどの喪失感。

商店街のあるブロックの一角にある7階建マンションに
妹家族が住んでいた。
地震の日、家族で、妹の夫の実家にみんなで泊まりに行っていた。
だから、妹たちは、自分の家の状態を知らない。
幸い、倒壊もせず、そのマンションは無事だった。

そうだ、妹家族はどうしているのか気になり始めた。

ライフラインでは、電気が一番初めに復活した。
テレビをつけると、どのチャンネルも、
震災の各地の様子を映し出していて、さらに衝撃を受けた。

ちょうど、阪神高速道路が倒壊している様子や、
高速道路から、落ちかけている大型バス、
下敷きになった車。

ビルが倒れた三宮の様子。

わたしたちの神戸が……。

破壊されていた。

死者は、6000人以上と発表されていた。

今の現代の都市で、一瞬で6000人以上が亡くなるなんて。

呆然とした。

そうだ、妹家族を確認しなければ。
うちの商売用の軽自動車は、無事だったので、
妹たちがいる、新神戸駅の近くまで行かなければと移動し始めたものの、
車は大渋滞に巻き込まれた。
それもちょうど、
阪神高速道路の真下で、車が止まってしまった。
さっき、テレビで見た、高速道路の横倒し画像が蘇り、
この高速道路も倒壊したらどうしようと怖くなって、
渋滞も一向に進まないから、
これは無理だ、家にさえも帰れなくなってしまうと判断し、
車をUターンさせて、家に戻った。
帰る途中、ガソリンスタンドが燃えているのを見た。

恐ろしい光景だった。

家に引き返したのは正解だった。
新神戸に行くには、三宮付近を通らないといけないので、
道路がどんなふうに、倒壊したビルで封鎖されているか
わからないから、こんな時は、下手に移動するべきではない。

幸い、数時間後、妹家族は、戻ってきた。
妹は、泣きながらうちに入ってきた。
家族無事なのは良かった。
けど、友人が、家の下敷きになって、出られないと言って
大泣きしていた。
それでも、すぐに自分の住んでいるマンションに行った。
中がどうなっているか、確かめなくてはいけないから。
マンションは、火がすぐ近くまで来ていたが、
裏がちょうど空き地になっていて、火が止まっていた。

わたしたちは、この助かったマンションで、しばらく住むことになる。



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