未来のためにできること~命に責任をもつ~
猫と暮らし始めて15年が過ぎた。
白内障気味で、いくぶんか食べる量の減った老猫を思うに、
この子への責任を思う。
とともに、初めてうちにやってきた日のことや、
いたずらが過ぎて大事なお皿を割ったこと、
まだ熱の残るフライパンに肉球をジュっとしてしまい、あわてて抱きしめ流水で冷やしたことなど(注・大事には至らなかった)
この子と私の間に紡がれてきたストーリーが、次々に浮かび上がる。
そう、私という存在は『無数のストーリー』によって構成されている。
そして猫のようなコンパニオンアニマルの場合、
ストーリーとともに、その命への責任が浮き彫りになる。
では例えば、今、目の前で私が使っているノートPCはどうだろう?
冷たい飲み物を提供してくれる冷蔵庫は?
素晴らしい吸引力で、猫の毛1本残さず吸い取ってくれる掃除機は?
それらにも命が、寿命というものが存在する。
ノートPCは、ノートなのに持ち運びできず、据え置いて使うしかない(充電ができない)頑固ものだ。でも驚くほど処理能力が高い。しっかり腰を落ち着けて作業に没頭でき、キーボードの感触が気持ちよい。
冷蔵庫はヤマダ電機で迷いに迷った一品。クラシックなフォルムが愛らしくて気に入ったけど、予算オーバー。販売員と交渉の末にGETした。時に「ウィーン」と声を上げて、私を驚かせるのが得意だ。
物と私の間にも、『無数のストーリー』が広がっているのだ。
Appleが新製品を出すと、「わあっ! かっこいいなあ~」…
エコな機能の冷蔵庫特集をみると、「むむむ、環境にも配慮してるのか。え~! 電気代も今より安いな」…
買い替えちゃおうかな!
ーーーという欲望のスイッチが入る。
かっこいいとか、流行ってるとか、コストダウンになるとか、
いろんなワードがスイッチの近くをうろうろし、
「買っちゃいな~」って、手をこまねいている。
私が言いたいのは、こういうことだ。
まず、個人を構成している『無数のストーリー』の存在を意識する。
そしてその命に、寿命に、責任を持つことが何よりなのではないか!
「エコ」とか「SDGs」は大事、本当に大事。
しかし、ただやみくもに「エコだ、SDGsだ」と唱える前に、
少し立ち止まって、命への責任について考えてほしい。
ただここで、若干の問題も浮かび上がる。
例えばいつまでも冷蔵庫を買い替えない人ばかりになると、
経済活動が滞ってしまう可能性が出てきやしないかと。
う~ん、、、、、、悩ましい。
だから、そこも含めて考えていくことだ。
未来のために、命に責任をもつ。
そこから派生する問題にも目を向けながら。
それが私の考える『未来のためにできること』だ。
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