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自死を両手に抱えて

昨日は、ありったけの力を使って布団を干しました。母がどこかに旅立ってから、3kgのお肉がそぎ落とされ洗練されたので、何をするにもちょっと気合が必要になりました。外で、日の光や風にあたることも生命力の回復にいいと聞きますから、めちゃくちゃ疲れたけどきっといい作用があるはず。

朝が来ました。早起きをして、早々に仕事の制服に着替え、夫の仕事セットを用意し、息子の朝準備を(見てないふりをしながら)見守り、あとは自分が仕事に行くだけ。遠くない場所です、すぐそこにある介護施設です。私を頼りにしてくれるおじいさんおばあさん、一緒に仕事をしてくれる皆さん。介護業界も、当日に職員が一人欠けるというのはとんでもなく大変なことです。わかってる、行きたかった。

でも、行けなかった。昨日のいい作用、どこに隠れた。

こんなポンコツの私ですが、息子のため、夫のため、絶対に生きたいと思っています。以前の記事にも書きましたが、自死遺族の方々は同じ道を選んでしまうことが少なくない確率で起きるそうです。が、私はそうなりたくない。「死にたくない」ではなく、「生きていかなくてはいけない」という感覚ですが。

亡くなった大切な人のおかげで、生きる意味を知った。とか

時間とともに気持ちの整理ができ、前向きに生きられるようになった。とか

亡くなってしまったあなた、私を見守っていてください。とか

自死を選んだのだから、あなたにはどうすることも出来なかったんだ。とか

「死なないで」とは言わない方がいい、考えを受け止める方がいい。とか

何万人もいらっしゃる自死遺族の皆さんは、できれば、これからは笑って生きてほしい。自分のために時間を使い、たくさん楽しい思い出を作ってほしい。

でも私は、全部全部聞き飽きた。亡くなった人をバネにして生きるような気がして、一層苦しくなる。自分が生きている罪悪感が増していく。勝手ですね。

傷に消毒なんていらないし、化膿してかまわない。傷をえぐって苦しみながら生きていけばいい。誰になんと言われようと、助けられなくてごめんなさいと思いながら。それなのに、誰にも迷惑はかけたくない。夫が落ち込んでいる時に抱きしめられたら、義両親の役に立てたら、仕事に行けたら、おいしいご飯を作って家族の帰りを待つことができたら、休みの日には息子の好きな遊園地に行けたら。……両立できるわけがない。

信じる者は救われるという。治りたい、よりよく生きたいと思う人はきっと元気になれるだろう。私のように、矛盾したことばかり考えて何も生み出さない人間は、眠剤を飲んでも安定剤を飲んでも、何も変われないだろう。

本当は消えてなくなりたい、お母さんや友人に会いたいと、誰になら話してもいいんだろう。


拙い文章しか書けませんが、読んで下さったあなたに気に入っていただけたら、とても嬉しいです。