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不登校が最高な理由

こんにちは、めげないやつ子です。


思春期にどれだけ自分の内側と対話したかで、自分の人生という道が掴めると思う。

そういう観点から見ても不登校は最高だ。


もちろん学校で友達と過ごす事も今しか出来ないかけがえのない時間だけど、今の子どもの気持ちで自分と対話する事も今しか出来ない。


子ども、特に思春期になった子どもは、それまでの色んな気持ちに気付き始めて それを言語化する力が着いてきた頃だ。


せっかくのそのタイミングで自分の内側ではなく他人に意識を向けてしまうと、

人をコントロールしたくなったり
人に自分の内側を認めてほしくなったり
自分も人も優劣で判断したり
自分の個性を信じられなくなったり

不足した部分を埋めようとするのではないか…と私は考えている。

少なくとも私はそうだった。


私が今40代にして心と向き合いながら自分と対峙している事は、本来ならば思春期にやるべき事だったと思う。

それがうまく出来ずに、人生をこじらせてきたと感じる。


それは私の愛着形成の土台が揺らいでいたからとも言えるし、これまでの私には まだ向き合う力がなかったとも言える。

それがまあアダルトチルドレンとか愛着障害とかなんだけど、ここではそういう事で済ませる目的ではないので続けるね♡



思春期の葛藤の例として

親への好意的な気持ちと反する否定的な感情をどう処理していくのか。

周りと自分を比較して苦しい気持ちとどう対峙するのか。

自分の良い面や苦手な事、好きな所と嫌いな所をどう捉えて、自分とどう付き合っていくのか。


このような心のモヤモヤを整理し、大人(親、先生)に用意してもらった枠から出て、自分で自分の道を作っていくフェーズに切り替える時間を丁寧に用意できた子どもは

その後、自分の人生を生きていけると思う。


それを不登校の子ども達は自分で選んでやろうとしているのだ。

めちゃめちゃ同調圧力の時代に、そこに違和感を感じる事ができているという事だ。


それは素晴らしいことだし、それは誰のものでもない自分の人生を生きたいという力が強いという事でもある。


私はそこに希望を感じているから、不登校のお母さん達を応援する発信をしている。

自分の子どものすごさに気付いてほしいから。



ただ、不登校を受け入れる前に、どうしても学校への望みが消えてくれない時があるのも正直な気持ちだと思う。


若い頃のキラキラした瞬間に憧れや理想を持つこと、なぜかそこが人生のピークのような そこで全て決まるかのような錯覚を持っていたりしないか…。


不登校によって息子の時間が失われているような感覚に襲われた時、自分が持つイメージや思い込みについて考えたり違う視点を持つことを意識していた。


どう過ごす事がキラキラに値するのかは私たちの価値観(恐らくはほぼ固定観念)に左右されている。


本当は学校に通って友達と過ごす中で何を感じるかが大事で、

例えば
嫌われないように…
枠から外れないように…
バカにされないように…

こんな気持ちがベースにあったら恐れを回避するために生きる事になるし、それはキラキラしてるとは言えないのではないかと感じる。


確かに “周りに合わせる” という事は学べるけど、自分という人間で幸せに生きる事からは離れてしまう。

恐れが原動力になっていたら結果的に進む道は希望から遠くなっていくから。


でもきっとここが見えづらいんだと思う。
だからわかりやすい基準や評価にすがってしまうのだ。

私がそうだったし、周りにもそんな考え方の人はとにかく多い。

つまり、誰もが通ってきた学校という場所がそうだから…だと思う。


不登校は立ち止まっているように見えるから、周りと比べて置いていかれているような気持ちになると思う。

でも立ち止まることが重要なのだ。


それも思春期という時期にちゃんと葛藤しているという事は、それこそかけがえのない時間だと私は思っている。


自分の内側と対話する時間は自分を知り受け入れることに繋がる。

自分を知ることは、より豊かに幸せを感じるための第一歩だ。


不登校でゲームばかり、YouTubeやアニメばかりで昼夜逆転、部屋に閉じこもっている…

そんな様子を見ていたら親なら不安になるのも当然だけど、それこそ自分と向き合っている時間だから\うちの子スゲーじゃん!/という目で見てみてほしい。


それではまた。





もっともっとめげない力を高めて、読んで下さる方に少しでも貢献できるような記事を書いていこうと思います🍀\恩送り/いただいたサポートは、私も誰かの応援に使います🌈