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いじめが過去になるのは

こんにちは、やつ子です。


今日は「いじめ」の話。
ちょっと重いので嫌な方はここで。




ここのところ
五輪開会式作曲担当の方のいじめの話が話題だ。


もう辞退されたようなので、
それについては何も言う事はない。


そもそも今回に限った話ではないしネ、
オリンピックのゴタゴタ。



競技は今日から始まる!


まずは、

\ソフトボールと女子サッカー/


私は選手を応援したい!



そして、その前に、

息子がいじめを受けた側の立場として、どうしても言いたい事があるので少し書こうと思う。



今回の五輪作曲家のいじめの事で

「いつまで過去のいじめの罪を背負わないといけないのだろうか」

という意見を見聞きした。



どうして傷付けた方が「過去」という言葉を使うのだろう。


もしかしたら、周りで見てるだけの傍観者が言っている事なのかもしれない。
(自分に罪はないと思っているから出る言葉なのかも)




いつまで
過去のいじめの事を
思い出して
動けなくなって
自分を責めて
心が荒み
死にたくなり
それでも気持ちを振り払い
過去と向き合って
時には反省をして
周りに感謝して
自分と向き合って
どうにか前を向いて
それでも突然怖くなって…

いつまで
そんな生き方をしなければいけないのだろうか。



これは不登校になってからの息子だ。


母ちゃんである私には、
息子の心を回復する事はできない。

近くにいてこの様子を見てる事しかできない。
最終的には自分で乗り越えないといけないからだ。



「いつまで過去のいじめの罪を背負わないといけないのだろうか。」


これは誰のセリフなんだろう。


誰がやった事の過去で
誰が苦しんでいるのだろう。

どの口が言っているのだと、思った。



「過去」という言葉が口から出ている内は、心から反省しているとは、私は思えない。



「過去」にするのは被害者の方だと、
もし心でわからないタイプなら、せめて頭では理解しておいてほしい。



息子は
「やるからには、オリンピックパラリンピックを応援するよ」
と言っている。


今日ここに向けて
ひたむきに進んできた選手たちを私は応援したい!!


それではまた(^-^)/








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