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今日も、読書。 |スマホを捨てよ、山へ出よう

2022.7.17-7.23



パオロ・コニェッティ|フォンターネ 山小屋の生活


スマホを捨てよ、山へ出よう。自然と生きる、21世紀版『森の生活』。
30歳になった僕は、何もかもが枯渇してしまい、アルプス山脈、フォンターネの山小屋に籠もった。都市での属性を解き放ち、生きもの達の気配を知り、やがて僕の五感は研ぎ澄まされていく—―。世界的ベストセラーとなった『帰れない山』の著者が、その原点となった山小屋での生活とアルプス山脈の四季の美、そこで出会った忘れがたい人々との会話を綴る。ミラノとフォンターネ。コロナ時代に先駆け二拠点生活を実践してきたイタリア人作家による、深い思索に満ちた体験談。

あらすじ

装丁の焚火の明かりに導かれるようにして、手に取った本作。

余談だが、焚火が持つ魔力はすごい。私は根っからのインドア派であるが、野外で行われるキャンプファイヤーはなぜか好きだ。心を無にして、炎の動きを目で追っていく。火の粉が昇って消えていき、自分の心をどこかに運び去っていくような、不思議な感覚になる。

あらすじを読むと、この本の中に広がっているであろう、大自然に囲まれた生活に、どうしようもなく惹かれた。潜在的に、心と身体が自然を求めていたのだろう。この作品を手に取ったのは、私自身社会人2年目になって、会社という組織の中で働く閉塞感のようなものを感じ、そのストレスから逃避したかったからかもしれない、と自己分析してみる。


著者のパオロ・コニェッティさんは、イタリア一の大都市、ミラノ出身。都会人である。30歳で仕事もプライベートも行き詰った彼は、標高1,900メートル山中にある「フォンターネ」という集落で、山小屋に籠もる生活を始める。人生に悩み、葛藤する著者の心中が、率直に吐露された力強いエッセイだ。

最初は、山の生活と都会の生活とのギャップに驚き、自然に囲まれた環境で落ち着かない生活を送る。しかし、野山に分け入り、動植物と触れ合う中で、次第に著者のアンテナが自然と調和し、生活を楽しむ余裕が生まれてくる。

時間がゆっくりと流れる、静かで丁寧な暮らし。朝日と共に起き、鳥の鳴き声を聴きながら、コーヒーを淹れる。牛飼いや山男との、素朴で真っすぐな交流。山小屋での暮らしの先に、著者はどのような光明を見出すのか。

星野道夫さんの『旅をする木』を読んで以来、自然との共生をテーマにした、こういう雰囲気の作品が好きになった。本作では特に、著者が初めて山の中で野宿をするシーンが良い。著者が自然と心を通わせる、大きなきっかけとなったシーンだ。

九時頃、家畜小屋の石垣のところで火を熾した。先端を尖らせて柳の枝で腸詰めを串刺しにして炙る。パンの代わりに、小麦粉と水を捏ねて薄く延ばし、かりかりに焼いたピアディーナがあった。戸外で火を熾しながら食べるなんて、まさしくグルメ好みの夕飯だ。腸詰めが焼きあがると、ピアディーナに挟んで串から抜き、ひと口ごとにワインをちびちびと啜った。

p46より引用

サルシッチャを挟んだピアディーナを、ワインでいただく。素朴だが、なんと美味そうな晩餐だろうか。この食事シーンが好きすぎて、ここだけ何回も読み返してしまった。


本作のテーマのひとつが、「孤独との付き合い方」だ。

人が密集する大都市で、どうしようもなく感じる孤独感。著者が、人間関係の問題から開放されたくて山に籠った時に押し寄せてきたのは、寂しさや人恋しさだった。人間が抱える、矛盾との対峙。人はどのようにして、自身の孤独感と折り合いをつけるべきなのだろう。

令和になって流行した「ひとりキャンプ」は、そんな孤独と向き合う、ひとつの良い方法である気がする。

都会での生活に疲れた心を癒すには、大自然と1対1の環境で、何も考えずにただぼんやりとすることだ。自然という圧倒的な存在の前に、自分がどんどん小さく感じられる一方で、心はどんどん寛大になり、些細な人間関係の問題など、取るに足らないことに思えてくる。そして街に帰るとき、心の中に残っているのは、誰かに会って話をしたいという欲求だ。キャンプは私たちを、人間本来の在り方に回帰させてくれる。

因みに私は、インドア派を極めしインドア派である。ひとりキャンプについて語ってはみたが、当然ひとりキャンプなどしたことはないし、複数人でのキャンプすら久しく行っていない。

こういう、自然の中でのリフレッシュは、本の世界で疑似的に体験する。移動しなくていいし、虫にも刺されないし、快適である。



柴崎友香|百年と一日


この本は、装丁の紙袋たちが可愛くて、手に取った。

最近は特に、「ジャケ買い」ならぬ「装丁買い」をすることが多い。まさに「想定外」の出会いである。本作は図書館で借りたため、厳密には「装丁借り」なのだが。

大根のない町で大根を育て大根の物語を考える人、屋上にある部屋ばかり探して住む男、周囲の開発がつづいても残り続ける「未来軒」というラーメン屋、大型フェリーの発着がなくなり打ち捨てられた後リゾートホテルが建った埠頭で宇宙へ行く新型航空機を眺める人々……時間と人と場所を新しい感覚で描く物語集。

あらすじ

本作は時の流れをテーマにした短編集だが、章題が非常に印象的である。

たとえば最初の章題は、「一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」だ。長いというか、もはや文である。一度見たら忘れないインパクトがあるが、そのくせ内容は、一度では絶対に覚えられない。

章題が、あらすじのような役割を果たしているのだ。各短編を一行で要約すると、まさに章題のようになる。

読者はまず章名を読み、それがどんな物語なのか、想像する。先ほどの「一年一組一番と~」の例で言えば、例えば単に「再会」としただけの章題よりも、物語を詳細に想像できる。章題の中に場面や時系列の切り替わりがあり、脳内にひとつの物語が完成する。

その後、本編を読む。先ほど想起した自分の物語と、答え合わせをするかのような感覚だ。新しい読書体験である。

もちろん章題は、余分な情報は削ぎ落とされているため、結果として全く違う物語であることがほとんどだ。それでも、読み終えた後の満足感は、普通の短編よりも大きい気がする。


『百年と一日』という題から分かるように、本作は「時の流れ」が主題である。

日常の何気ない一瞬が切り取られ、人や場所について、過去や未来の情景に時間軸が切り替わっていく。リレーのバトンを渡すように、主役が次々に変わっていくのだ。

人から人へ、時代から時代へ、場所から場所へ。流れるように場面が変わり、気づけば章題の最後の場面、答え合わせにたどり着く。郷愁的な読後感を残し、次の章へと、またリレーは繋がっていく。



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