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#14 太宰治全部読む |作家人生を横断する随想集

私は、太宰治の作品を全部読むことにした。

太宰治を全部読むと、人はどのような感情を抱くのか。身をもって確かめることにした。

前回の『きりぎりす』では、中期の女性告白体小説を中心に、”隠れた名盤”とも言うべき、興味深い短編を数多く読んだ。

14回目の今回は、『もの思う葦』を読む。

目次を開いて驚いたのだが、この『もの思う葦』、なんと49編もの作品が収録されている。一体どのような作品なのだろうか。



太宰治|もの思う葦


自殺未遂、麻薬中毒、血みどろの苦闘のなかで『晩年』と並行して書かれた『もの思う葦』から、死を賭して文壇大家に捨て身の抗議を行うために『人間失格』と並行して書かれた『如是我聞』まで。太宰治の創作活動の全期間にわたって、天稟の文学的才能と人間的やさしさをきらめかせているアフォリズム、エッセイ『走ラヌ名馬』『かくめい』『酒ぎらい』『川端康成へ』など49編を収録。

あらすじ


本作『もの思う葦』は、これまで紹介してきた太宰作品とは、一風変わった作品だ。

小説ではなく、アフォリズムやエッセイなどが収録された随想集である。

処女作『晩年』の時代から、後期『人間失格』の時代まで、太宰の作家人生の全期間を横断するように編まれている。

ここまで「太宰治全部読む」をやってきた身としては、これらの作品を順番に読んでいくことに感慨深い思いがあった。


太宰の小説には、厳しい批評の姿勢が随所に見られる。

文学や政治など、様々な観点から、現代の潮流や思想を、ときに鋭く、ときに戯けながら批判する。

そしてその批評の矛先は、しばしば自身にも向けられる。太宰は自他平等に厳しい批判精神を持っているのだ。

その自己に対する批評が、文学・芸術の域にとどまらず、人間性の否定にまで至ってしまうとき、『人間失格』のような鬱々とした作品が生まれるのである。


本作『もの思う葦』を読んでいて感じたのは、そんな太宰の批判精神の強さだった。

小説よりも随想の方が、直接的・攻撃的に、批評論が展開されている印象を受けた。

それにしても、表題作『もの思う葦』をはじめ、第一短編集『晩年』と同じ時期に書かれた文章は、青臭さというか、若さゆえの勢いみたいなものが感じられて、個人的にすごく良かった。


ここからは、特に良いと感じた作品を3つご紹介。

まずは「一つの約束」という作品。

家族の幸福を壊すまいと声を飲み込んだ、ひとりの遭難者の心の美しさ。

誰も知ることのない、その一瞬の美しい行為を、たった2頁で感動的に描く。全文引用したいほどに良かった。

事実は、小説よりも奇なり、と言う。しかし、誰も見ていない事実だって世の中には、あるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ。それをこそ書きたいというのが、作者の生甲斐になっている。

p161より引用


「春」というエッセイも名文である。

太平洋戦争中に書かれた文章で、妻と二人の子供と、いつ来るかも知れない空襲に脅かされながら、春の雪に故郷の津軽を思い出す。

戦争という非常事態下においても、人は生活を続けていく。雪溶けの道を、妻と娘がふたり銭湯に出かけるのを見送る、太宰の背中。父としての太宰が顔を覗かせていて良かった。

いま、上の女の子が、はだしにカッコをはいて雪溶けの道を、その母に連れられて銭湯に出かけました。
きょうは、空襲が無いようです。

p214より引用


最後に「如是我聞」は、読み応えのある批評文だ。晩年の太宰の危うさを、ひしひしと感じる文章である。

志賀直哉をはじめとする老大家に対し、歯に衣着せぬ激しい文章で、喧嘩腰の批判を展開する。

晩年の『人間失格』執筆と並行して書かれた文章であり、自死を目前にした、怖いもの知らずの自暴自棄が表れている。

この頃の太宰は、他者に対しても、自身に対してもとにかく尖っていて、ふとした拍子に崩れてしまうような、危うい均衡を保っていたのだと思う。

その均衡を保つために、自身を奮い立たせ、虚勢を張り、他者への口撃をするしか、他になかったのだろう。



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