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今日も、読書。 |年越し、そして

2021.12.26 Sun

「スターウォーズ・エピソード4 新たなる希望」を観る。映画を始めから終わりまでしっかり観たのは、久しぶりである。

とにかくハン・ソロに痺れた。ハリソン・フォードに痺れた。「フォースと共にあらんことを」に痺れた。

スターウォーズの知識がほとんどなかった(主人公の名前すら知らなかった)ので、唐突にダースベイダーが宇宙船を襲撃し、主人公が全然出てこない、序盤の展開に驚いた。十分な説明が省かれたまま、帝国軍VS反乱軍の戦いに巻き込まれ、展開についていくのに必死だったが、やはり面白かった。70年代に撮影されたという、古さを感じさせない、今尚新しさを感じさせる映画だと思った。

特に、ラストのパイロットたちの銃撃戦がアツかった。終盤になって突然登場した、反乱軍のパイロットたち。あまりに急に現れたので、全然感情移入できない……かと思いきや、彼らの命をかけた激闘に、不思議と胸が熱くなった。それにしても、反乱軍の基地の様子が、終盤になるまで一切描かれず、突然味方がたくさん登場するのには笑った。


2021.12.27 Mon


175日目。
完全に年末モードで、仕事に身が入らない。作業系の業務に専念し、ミヤマレベッカさんのYouTubeを観ながら仕事をする。

普段どんなYouTubeチャンネルを観ているかという話題は、どんな本を読んでいるかという話題よりも、非常にデリケートで、個人のプライバシーに関わる話題という感じがする。どんな本を読むかという話は色々な人とするが、どんなYouTubeチャンネルを登録しているかという話は、本当に仲の良い人としかしない。YouTubeの視聴は、読書よりも、個人的な娯楽と言えるのかもしれない。

さて十二国記、戴国の物語も、終盤に差し掛かっている。怒涛の展開である。クライマックスに向けて、大いに盛り上がってきた。仕事なんてしている場合ではない。

休憩時間には、スターウォーズ。休憩時間にスターウォーズが観られるなんて、考えてみれば最高だ。エピソード4に続き、「エピソード5 帝国の逆襲」を観始める。映像が進化している!

相変わらず、ハン・ソロがイケオジで良かった。そしてとうとう、かの有名なヨーダの名前が出てきて興奮。仕事なんてしている場合ではない。

年末年始に向けて、しっかりと本を調達する。年末年始はとことん家に篭って本を読む予定だ。ずっと欲しかった『ブックデザイン365』。漫画『僕だけがいない街』。他にも色々。

年末は、財布の紐が緩んで困る。


2021.12.28 Tue


176日目。
今年の仕事は明日まで。年末に向けて仕事を納めたいが、どんどん業務が増えている気がする。気のせいか?

年末。そろそろ、今年読んだ本の中で特に良かった10冊は何だったか、考え始める。今年はどんな本を読んだ1年だっただろう。大学時代は、年間400冊弱くらいの本を読んでいた。社会人デビューした今年は、どうだっただろうか。

年末のこの時期、1年の締め括りに、自分の読書を振り返る作業は楽しい。基本的には「点」の行為である読書を、俯瞰的に振り返ることで、「線」の行為として認識する。点と点を結んで線とすることで、当時は気づかなかった読書の流れに気づくことができる。

とりあえず、毎日本は読んでいた。

TwitterやInstagramで読書アカウントを始めて、読んだ本について記録するようになって、そして、このnoteを始めた。思えば、自分の読書人生の中で、2021年は激動の年だったのかもしれない。ただ内向きに、ひたすら個人的に本を読む生活から、ほんの少し外向きに、アウトプットしながら、本を読むようになった。

来年は、読書はもちろんのこと、美術館巡りとか、音楽鑑賞とか、芸術の分野に幅広くアンテナを張るような、そんな1年にしたい。文章を書くのが上手くなりたい。手作りの本を作ってみたい。やりたいことがたくさんあって、それを全て叶えられるかどうかは分からないけれど、やりたいことがあることはとにかく良いことだと思う。



2021.12.29 Wed


177日目。
仕事納め。なんとか納まった。今年もお疲れさまでした。

年末年始の休み中に、やりたいことを書いてみる。

・2021年に読んだ本ベスト10を決める
・名刺代わりの小説10選を更新する
・ブックオフのセールに行く
・スターウォーズを観る(全作は無理そう)
・映画99.9を観に行く

年末年始休暇、突入。久しぶりに、1週間の休みだ。だらだら過ごしたい気持ちもあるけれど、というか多分だらだら過ごすことになるのだけれど、やりたいことはちゃんとやる、充実した休暇にしたい。

今晩は、有吉の壁、ドラマ99.9と、テレビが最高のラインナップで嬉しい。読書は少しお休みして、早く寝る。



2021.12.30 Thu


高校時代の親友たちと忘年会。1日中遊んでいたので、これを書いている今は、翌日の12月31日金曜日だ。大晦日の朝だ。気持ちの良い朝。

今年の大晦日は、毎年恒例のガキ使がない。ぽっかりと開いた大晦日の夜の時間を、どう過ごすべきなのかが分からない。

スターウォーズを観ようか。何か本を読もうか。「今年最後の日」ということ以外、普段と変わりのない休日のはずなのだけれど、大晦日に読む本は何か特別な、それに相応しいものでなければならないという、謎の気持ちがある。

今読んでいる本はというと、深夜特急は第4便、シルクロード珍道中。この巻には、私が深夜特急を読む中で特に感銘を受けた文章がある。

これまで物乞いに言い寄られても頑として施しをしてこなかった著者が、自分より貧しいのに躊躇うことなく施しをするヒッピー仲間を観て、内省するシーン。少し長くなるが、引用してみたい。

 私自身、これまで、東南アジア、インドからこのイランに到るまでの旅の最中に、いったい何百、何千の物乞いに声を掛けられ、手を差し伸べられたことだろう。だが、私はそのたったひとりにすら金を恵んでやることができなかった。いや、恵むまいと心に決めていたのだ。
 ひとりの物乞いに僅かの小銭を与えたからといって、何になるだろう。物乞いは無数に存在するのだ。その国の絶望的な状況が根本から変革されないかぎり、ここの悲惨さは解決不能なのだ。しかも、人間が人間に何かを恵むなどという傲慢な行為は、とうてい許されるはずのないものだ……。そのような思いが私に物乞いを拒絶させた。
 私には他人に金を恵む筋合もなければ資格もない。
 確かにそれはひとつの考え方ではあったろう。しかし、ロッテルダムの男の行為を眼のあたりにした後では、それは単に「あげない」ための理由づけにすぎないような気がしてきた。自分が吝嗇であることを認めたくないための、屁理屈だったのではないだろうか。「あげない」ことに余計な理由をつける必要はない。自身のケチから「あげない」ということを認めるべきなのだ。そうだ、俺はただのケチであるにすぎなかったのだ。
 そこまで考えが及ぶと不思議に気持が軽やかになってきた。自分をがんじがらめにしていた馬鹿ばかしい論理の呪縛から解き放たれて、一気に自由になれたように思えてきた。なぜ「恵むまい」などと決めなくてはいけないのだろう。やりたい時にやり、恵みたくない時には恵まなければいい。もし恵んであげたいと思うのなら、かりにそれが最後の十円であっても恵むがいい。そしてその結果、自分にあらゆるものがなくなれば、今度は自分が物乞いをすればいいのだ。誰も恵んでくれず、飢えて死にそうになるのなら、そのまま死んでいけばいい。自由とは、恐らくそういうことなのだ……。
(p117-119)



2021.12.31 Fri


大晦日。
沢木耕太郎さんの『深夜特急』には、巻末に「対談」として、沢木さんと様々な著名人の対談の様子が収録されている。

これが面白い。特に第3巻の対談「十年の後に」は、旅の道中、インドで出会った日本人・此経啓助さんと10年越しに再会し、当時を振り返るという内容になっており、深夜特急ファンは必読だ。

そして、今私が読んでいる第4巻の対談「終わりなき旅の途上で」は、文化人類学者の今福龍太教授との対談。ここにも、私が強く共感した文章があった。沢木さんは、ノンフィクションルポを書くためにインタビューをする中で、言葉には二つの相があるのではないか、と感じたという。前回に続いて恐縮だが、引用させていただく。

 インタビューで得られる答えには、当人が知っていることを喋ってくれる言葉と、当人が意識していない言葉の二つの相がある。たとえば僕が今福さんに日本語でインタビューする場合は、その二つの相を知覚できる。当人が知らないことまで引き出す言葉を自分が操れる自信がある、ということですね。インタビューという不思議な形態を通して出てきた言葉、というのを識別できる。しかし外国語を操りながら、言葉の二つの相を知覚するというのは絶望的なまでの言語能力を必要とするのではないか、と思うんですよね。
 もちろん文化人類学者の中には言語能力の点で天才的な人もいっぱいいるでしょう。しかしそれでもやはり彼らが知っていることしか聞き出せないんじゃないか。被取材者自身が意識していないことまで引き出せる能力、ないしはそれを知覚できる能力はあるのか、僕には疑問なんです。学問としてはそのレベルでかまわない、という言い方もあるかもしれない。しかし仮に原始的生活をしている人たちにも、本人が知覚していない言葉のレベルも当然あるだろうと思うんですよね。
(p216-217)

私はイタリアに留学をしたことがある。現地でイタリア人の友達とたくさん交流した。しかし心のどこかで、沢木さんが仰っているように、英語やイタリア語といった外国語を通しては、彼らが意識していない言葉の相まで知覚することができない、どこまでいっても一定の表層的な部分まででしか交流することができない、と感じていた。使用する言葉が、母語かそうでないかという壁は、どんなに言語能力が上達しても、無意識下で立ちはだかるものなのだと思う。沢木さんのこの言葉は、私が留学中に抱いていた正体不明のぼんやりした感覚を、言語化して、クリアにしてくれたと思う。

早いもので、2021年も終わり。

社会人として働き始め、この読書日記を書き始め、振り返ってみると、色々なことを始めることができた1年だった。来年は、今年始めたことを継続させながら、少しずつ自分を磨き、ひとつひとつ質を高め、成長していけるような1年にしたい。
本年も、たくさんの本との出会いに感謝しつつ、来年の更なる飛躍を願い、最後の挨拶とさせていただく。

「今日も、読書。」をお読みいただきました皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください!


2022.1.1 Sat


新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

昨日、最後の挨拶とさせていただく、と書いておきながら、その直後に最初の挨拶。日記を投稿する曜日の切れ目が、日曜日なのだから仕方ない。
2021年の読書を振り返ってみる。

2021年1月1日、最初の読了本は、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』だった。レイ・ブラッドベリから始まる1年。なんとも良い響きだ。

2021年に読んだ本は、計349冊だった。昨年と比べると少し減ったが、それでもほぼ1日1冊のペースで、本を読んでいたようだ。仕事と読書の両立。社会人になる前に立てていた目標は、概ね達成できたのではないだろうか。来年も300冊を超えられるように、本を読む姿勢を継続したい。

ちなみに2021年の締め括りは、『十二国記 白銀の墟 玄の月 第四巻』だった。長かった十二国記の物語も、遂に、現段階での最終地点に到達した。ずっと追ってきた戴国の物語、最後は圧巻だった。十二国記シリーズは冊数が多く、ハードルが高いと感じられるかもしれないが、間違いなく、読む価値のあるファンタジーだ。

明日から、2021年に読んで特に面白いと感じたい本について、簡単に語っていきたいと思う。ほぼ1年前に読んだ作品もあり、内容を覚えているかどうか怪しいが、どれも心の底からお勧めできる作品であることは間違いない。お楽しみに。




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