関わる集団の同質性
さらに、このような傾向は自分の周りの環境にも影響を与えます。つまり、「大卒の人」の周りには「大卒の人」が集まり、「非大卒の人」の周りの人には「非大卒の人」が集まるということです。
確かに、現在、自分がよく関わっている人というのは、自分と同じ「属性」を持つ人たちのような気がします。僕自身は「大卒」ですが、今でも関わりのある人というのは「同じ大学を卒業した友人」や「職場の人間(大卒)」が多いです。
大卒も非大卒も満遍なく関わるというのは、多少意識的にしないと難しいのかもしれません。そして、そういう属性が近い集団と交わることで、自分の価値観も強化されていきます。つまり、属性が違う人の価値観に触れる機会というのが少なくなってしまうのです。
例えば、僕は自分と違う「属性」である人の境遇を想像することが難しいです。以下は、高卒という属性を持つ人たちの「関わる集団」の話です。
大学はどの地域にも満遍なくあるわけではなく、それは都市部に集中している傾向があります。ということは、「大卒・非大卒」という分断線は、日本中で共通ではなく、都市部かどうかという要素もあることになります。
このように同じ「属性」は集まる傾向があります。そして、これは、SNSなどで見られる「エコーチェンバー」という現象も引き起こしかねません。これは、自分の思いや価値観が自分と価値観の近い集団のなかでどんどん増幅されていく現象のことです。自分の価値観の客観性を担保するというのは、かなり意識的に行動しないと難しいことなのです。
アメリカという国を多様性の実現された社会として語る言説は多いですが、実際、アメリカに住んでいる知人の話だと「多様な人種が国内にはいるが、人種ごとのコミュニティがあり、それらが交わることはあまりない」ということを何度か聞いたことがあります。この状態は、決して「多様性が実現された社会」ではないでしょう。相互の交わりがなければ、それはいろいろん人種の人が「いる」だけで、単に分断されているだけなのです。