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関わる集団の同質性

 さらに、このような傾向は自分の周りの環境にも影響を与えます。つまり、「大卒の人」の周りには「大卒の人」が集まり、「非大卒の人」の周りの人には「非大卒の人」が集まるということです。

読者のなかには、自分には大卒の友人・知人は多いけれども、中卒や高卒の知人はほとんどいない。あるいは学歴分断線の向こう側の人とは、日常的な接点が多くない、という人がいるかもしれません。しかし、駅やショッピング・モールなど公共の場でみかける日本人の半数以上が高卒層である、という統計データが示す人口構成比率に間違いはありません。

『学歴分断社会』 吉川徹著 ちくま新書 2009 p46

確かに、現在、自分がよく関わっている人というのは、自分と同じ「属性」を持つ人たちのような気がします。僕自身は「大卒」ですが、今でも関わりのある人というのは「同じ大学を卒業した友人」や「職場の人間(大卒)」が多いです。
大卒も非大卒も満遍なく関わるというのは、多少意識的にしないと難しいのかもしれません。そして、そういう属性が近い集団と交わることで、自分の価値観も強化されていきます。つまり、属性が違う人の価値観に触れる機会というのが少なくなってしまうのです。

例えば、僕は自分と違う「属性」である人の境遇を想像することが難しいです。以下は、高卒という属性を持つ人たちの「関わる集団」の話です。

反対に、面接社会調査のために全国の一般家庭を訪問してみると、日頃は大学を出た人たちに会うことはなく、親戚にも数えるほどしか大卒の人はいない、まして大学の先生と話をする機会なんてめったにない、とおっしゃる方があります。

同書 p46

大学はどの地域にも満遍なくあるわけではなく、それは都市部に集中している傾向があります。ということは、「大卒・非大卒」という分断線は、日本中で共通ではなく、都市部かどうかという要素もあることになります。

このように同じ「属性」は集まる傾向があります。そして、これは、SNSなどで見られる「エコーチェンバー」という現象も引き起こしかねません。これは、自分の思いや価値観が自分と価値観の近い集団のなかでどんどん増幅されていく現象のことです。自分の価値観の客観性を担保するというのは、かなり意識的に行動しないと難しいことなのです。

このように、世の中の半分ずつが相互に閉じたネットワークや人間関係をもつ傾向があり、親しく交流する機会をもっていないとすれば、それは欧米の階級境界やエスニシティの境界を思い起こさせる、重大な分断状況だとみることができるでしょう。

同書 p46

アメリカという国を多様性の実現された社会として語る言説は多いですが、実際、アメリカに住んでいる知人の話だと「多様な人種が国内にはいるが、人種ごとのコミュニティがあり、それらが交わることはあまりない」ということを何度か聞いたことがあります。この状態は、決して「多様性が実現された社会」ではないでしょう。相互の交わりがなければ、それはいろいろん人種の人が「いる」だけで、単に分断されているだけなのです。