「ねじれ」を持っていますか
教員という人たちは「スッキリ」している人が多いなと感じます。それは、教員自身が「学校文化」に適応してきた「元子ども」であり、教育に興味を持ち、そのまま「学校へ就職しちゃう人」だからなのでしょう。
だから、学校文化の「違和感」に気付けない。
善意で子どもたちを「追い詰め」てしまう。
「先生は街にいても見分けがつく」という話をします。
例えば、職場の近くでランチを取っていると、近隣校の先生と遭遇することがあります。僕はその先生たちを存じ上げませんが、「入ってきた瞬間」に「あ、先生だ」とわかる。
これは「感覚的な話」なので、共感はしづらいかもしれませんが、「同業者には同業者がわかる」のですよね。
先日も、東京学芸大学の「ぬまっち先生」とお会いしたときも、近くの席に座っていた団体客は「学校の先生たち」でした。こういうのはすぐにわかります。話題とかを聞かなくても、わかる。雰囲気が「先生」なのです。
僕自身もよく「先生っぽい!」と言われます。僕も十分に「学校文化に染まっている」のかもしれません。
さて、今日は、「スッキリしてはダメ」という主題です。
「ねじれ」を持て、というよくわからない話をします。
「ねじれ」という言葉は、故加藤典洋の『敗戦後論』からいただいた言葉です。加藤は、大岡昇平が芸術院会員辞退の際に述べた言葉を引用しつつ、大岡の持つ「ねじれ」について以下のように述べています。
加藤は大江健三郎を「ねじれのない人」として考えている。大江は、自身を「少年時から、老年に近付いた今にいたるまで」を「戦後民主主義者」と定義している。ここには「ねじれ」がない。
一方、大岡昇平は、自身が捕虜になってしまったという「汚点」を抱えている。その「汚点」を抱えたまま、戦後民主主義を生きてきた大岡は「ねじれ」ている、と加藤は評したのだ。
「ねじれ」について、加藤は敗戦後論の論考の最後に以下のような例え話をしている。
これは、まるでアルベール・カミュの『シシュポスの神話』のようである。カミュはこの話で「不条理」について考えた。人生とは終わらない苦役のようなものではあるが、その中でも最後にシシュポスは「すべてよし」と自身の運命と折り合いをつけるのだ。
大岡もまたシシュポスのように、「汚れ」を抱え続けている。大岡が戦時中の捕虜になってしまったことを責める人などいないはずである。しかし、大岡自身がそれを許さない。戦後になって、多くの人が「新しい民主主義の時代だ!」となる中、大岡は自身の「汚れ」を感じ続けている。ここに加藤は「ねじれ」を見た。そして、加藤は論考の最後に、以下のように、その強さを讃えている。
さて、本題に戻ろう。
我々教員には「ねじれ」があるのだろうか、という話である。
大岡のような「ねじれ」を抱えることはなくても、我々教員には大なり小なりの「汚点」はあるはずだ。それは初任の頃の至らなさが原因なのかもしれないし、中堅教員になった今でも気づかないうちに「汚点」を残しているかもしれない。
教員という仕事は「単年契約」である。学級担任は、いくら学級をボロボロにしても「4月にはリセット」させることができる。
悲しい話ではあるが、学級をまとめていく力のない教員は確実に存在していて、彼女ら彼らは、毎年のように「学級を荒らして」しまう。それでも、「年度末」にはそれがリセットされて、「新年度」を迎えることになる。そして、前年度と同じようなことが繰り返される。
リセットをすると「スッキリ」する。
4月は「また、新しい気持ちで頑張ろう」となる。
いつまでも過去の「汚点」を引きずることは、確かに精神衛生上、良くないという考えもあるだろう。
しかし、それでも、僕は加藤の分析した大岡の「ねじれ」を讃えたい。
僕自身も「汚点」を抱え続け、「ねじれ」を感じ続けたいと、そう思う。
ねじれというのは、「複雑」ということである。
複雑というのは、「自分の中の他者」を感じることである。
自分の中にある、「消化できない汚点」を抱き続けることの意味。
それは、学級にいる「よくわからない他者」としての子ども達と向き合う時に必要な力能なのかもしれない。