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課題設定 ~定量制と定時制~


教室における大前提「教育格差」

 学校の先生が忘れてはいけない大前提があります。それは、子どもによってこれまでに受けてきた「家庭教育」には大きな差があるということです。

 1年生の4月の入学式。多くの人が、ピカピカの一年生を見て「みんな並んで学校生活のスタート」をイメージしているかもしれません。しかし、そこには6年間という家庭教育の差が歴然とあります。これについては『教育格差 松岡亮司 2020』がエビデンスも交えて詳しく書かれているので、お時間があれば是非ご覧になってください。

 そのような子どもたちの「差」を考えた時に、授業における「課題設定」についてはいくつか考え直さないといけないところがあるなと感じます。

定量制のシステムが一般的

 例えば、算数の時間に計算ドリルなどの問題集をやらせることがあるかと思います。そのときに多くの先生は「定量制」のシステムを採用しています。これは20問の問題があれば「20問を解くまで終われない」ということです。

 つまり、課題の終わりを「量」によって決めています。これは平等の考えが浸透している学校文化では受け入れやすい考え方ですね。あの子は5問で終わり、でも、別のあの子は20問やるまで終われないとなると、不平等を感じる人は多いと思います。

 でも、子どもたちによって既に歴然たる「差」があると考えたときに、同一課題というのは、その「差」を考慮していないことになります。

 教室は「同年齢」の学習集団ではあるのですが、だからといって「同じくらいの学習能力」ではないことは先生として子どもたちに指導していればすぐに気がつけることです。でも、それを我々はついつい「忘れがち」になってしまいます。「同年齢の集団は同じような発達を経る」という迷信がまかり通ってしまうことが多いのです。

定時制という提案

 そこで僕は学習課題については、「定量制」から「定時制」を採用しています。「量による平等」から「時間による平等」への変化ですね。例えば、20問の問題が用意されている場合、10分の時間を設定しておきます。10分で20問終わる子もいれば、10分で10問の子もいるでしょう。でも、二人とも「10分」はしっかりと課題に取り組むことができました、という考え方です。

 定量制の問題点としては「量による平等」なので、「時間は不平等」になってしまいます。例えば、先程、10分で10問しか解けなかった子は休み時間や放課後や宿題として「残りの10問」をすることになります。

 このような課題設定をした場合の子どもの気持ちを代弁すると「20問は解けたけど、算数は嫌いになった」かもしれません。解けたからいいと考える先生もいるかもしれませんが、結果的に、子どもが勉強嫌いになってしまったのなら、それはその子の将来に渡って大きな「学習機会の損失」になってしまうとは思いませんか。

意欲が一番大事

 学習における「意欲」が大切であることは経験的にみなさんもわかっていると思います。いや、むしろ「知識技能」や「思考力判断力」よりも「意欲」こそが我々を行動に駆り立てます。そして、この「定量制」を採用することで「学習が苦手な子」ほど「学習意欲が削がれていく」という負のスパイラルが発生していってしまうのです。これは絶対に防がないといけません。

 定時制の中で「学習が苦手な子」へいかに「個別支援」をしていくかという課題はあります。これまでは「個別支援」の時間を、休み時間や放課後や宿題の時間にやらせていた先生が多かったのです。しかし、それはもう辞めていきましょう。

時間を子どもに「返していく」

 僕は授業時間の考え方として「子どもたちに時間を返していく」ということを考えています。「45分の時間は先生の時間」であり、「その一部を子どもたちへ渡す」という考え方の先生が多いかもしれませんが、僕は「45分の時間は子どもたちの時間」であり、「その一部をもらって授業をしている」と考えています。

 特に算数科では、先生が中心に進める「講義」の配分を減らして、子どもたちによる「自力解決」と、苦手な子への「個別支援」の時間を、これまで以上に取ることを意識していくべきだと思います。

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